遺伝子の連鎖反応
母とはもう一年以上会っていないし、しゃべってもいない。どうしているのか全く知らない。
始めは母の支配のない自由な暮らしが、確かに心地よかった。でも今、私はどうしたらいいのかわからなくて泣いてばかりいる。
今まで私が自分で決めて行動して来たと思っていた事は、すべて母の意志であったかのように感じられる。私には私の行動を決定出来ないのではないか? ずっと母に頼って生きて来たのではないか?
結局のところ私は何もかも母にそっくりだ。受け継がなかったのは魔性の美貌だけ。それ以外はすべて母のコピーのようだと感じる。
3年前祖母が亡くなった時、母は母なりに祖母の支配から解かれた自由を感じていた。私には充分自由に生きて来たように見えた母が、実は祖母の言葉や態度に縛られ続けていたのだった。
あれほどまでに美しかったのに、祖母は始終悲しみの中に生きていた。そこには女の一生の儚さが見えた。
一人の男に心を奪われたまま生涯を閉じた祖母を目の当たりにして、母はそこから逃れようと必死になっていた。その一方では羨んでもいたかもしれない。
祖母の遺体の前で涙と共に、もう自由だと言った母の姿を思い出す。でもそれから急激に母は老けた。30くらいにしか見えなかったのに、40には見えるようになってしまった。母は焦りを感じあらゆるエステや美容法を試したが、結局元には戻らなかった。
「私はもうあと数年しか美貌を保てない。醜くなったら死んだのと一緒よ。だったらあと数年、まだ美しいうちに誰かを愛し愛されたい」
あれほど本気で男を愛するなと言っていた母が、何不自由なく暮らせる3番目の結婚相手との離婚を真剣に考えていた。あと数年好きなように生きたいと言って。
愛してはいけないというのは、祖母の手前の建て前だったのか、それとも自分に無理に言い聞かせていた言葉だったのか。
母はもう数年で死んでもいいから、その前に飛鳥と結婚したいと真面目な顔で言った。
おい、ちょっと待て。お母様、とうとう御乱心か?と思ったが、母は大真面目だった。母は自分の判断力を狂わせない為に、いつも遠くの人を愛する習慣を身に付けていたのだった。
私は母の為に駅に張ってあったASKAの非売品特大ポスターを剥がして来てあげた。だって下さいと言ったらダメだと言うからさ。パチるしかないじゃん。
母は喜んで大きな額にポスターを入れた。
私は母に離婚したいなら離婚した方がいいと言ったが、妹と弟は反対した。年老いた母が一人になって、一番困るのはお姉ちゃんだよと釘をさされたが、私には母の悲しみが自分の事のように感じられたし、離婚すればあと数年で本当に愛せる人に巡り合えるかもしれないと思った。
母は愛していない男に自分を愛させる方法は知っていたが、愛する男を手に入れる方法は知らなかったのだった。いや相手が飛鳥じゃどのみち知り合えないと思うけど、でも不可能そうな望みを抱くところは、母も私も同じだ。妹は決して不可能な望みは抱かない。
100億以上の資産も、顔のいい結婚相手も、何もかも手に入れたかのように見え、本当は私と同じように決して手に入らない愛を、母も求めていたのではないか。父親に見捨てられ、夜の公園に一晩中置き去りにされた5才の時からずっと。
私の心はいつも母に、祖母に、共鳴する。
私を突然襲うこの悲しみは、一体誰のものなのか。母なのか、祖母なのか、それとも私自身の悲しみなのか。
祖母が死んで一年くらい、母は鬱のような状態だった。だが次第に諦めが表情に現われ、どんなに足掻いてもはね除けられない老化を直視しない為、母の女である部分が追い求める愛情を諦めたように見えた。母は何ものにも弱味を見せない厳しい母に戻った。
母が弱々しく涙を見せたのは、ほんの一時だけだ。でも私にはその時の母が何度も何度も思い出される。それは時に自分の姿として夢に現われる。
結局、祖母も母も私も、一番望んでいたのは真実の愛だったし、誰もそれを手に入れる事は出来なかったのだ。たとえ悪魔に魂を売ったとしても、結果は同じだったろう。
祖母は弱々しく泣き暮らした女らしい人だった。
母は一番欲しいものが手に入らない時は、その他すべてを手に入れると強がって生きた。
私は母に叩き込まれた教えを守り、控えめながらも二番目に欲しいものを追いつつ、祖母のように泣き暮らしている。
祖母には美貌と知性があった。
母には魔性と頭脳があった。
私には色気と天運があった。
でも誰も幸せにはなれなかった。
私は諦めないと言いながら、既に諦めているのかもしれない。
私の心が弱音を吐くのは、いつだってこんな一人ぼっちの夜だ。
存在しないものを求めるのは止めろと、遠くで叫ぶ声が聞こえる。それが自分の声なのか、母の声なのか、祖母の声なのかわからない。
それとも神の声なのか。


