愛されたい病
私の心の根底にあるのは、愛されたい、それだけだと思う。他には何も思う事がない。
どんな小説にも、どんなエッセイにも、どんな雑文にも、そのメッセージが込められている気がする。
何を言おうとしても、どんなに言葉を飾っても、結局私の心が泣いているのが文章に現われるのは、誰にも愛されないと知っているからだ。
夫が私を愛していると言う人がいる。
それは全くの見当違いだ。
夫なりの好意かもしれないけど、私の望む愛じゃない。
誰かに一瞬だけでも真実愛されていると心から感じる事が出来たら、それが勘違いだと気付く前に殺して欲しいと思う。けれど絶対に、一瞬たりとも、私が愛されていると感じる事はないだろう。たとえどんなに綺麗になったとしても、頭が良くても、才能があっても、優しくても、どんな美徳を持っていようとも、私は誰にも愛されない。
それは絶望というより確信だった。
転校先の高校では、演劇部の顧問は園芸科の先生で、普通科の部員は私一人だった。
園芸科は極端に偏差値が低くて、普通科との接点は何もなかった。他の部員と私は噛み合う話題が何もなく、いつも気まずかった。でも私は演劇が出来ればそれでよかったので、劇のセリフ以外いつも何も喋らなかった。
顧問の先生は中年男性だったが、ガラスの仮面を愛読していた。そこでガラスの仮面の中の劇をやらせる事も多かった。舞台装置をつくる予算がないので、大会では安価で出来るものをやり、主に練習劇にガラスの仮面から持って来た題材をやった。
先生は「二人の王女」の中で自分がどの役に適しているか一日考えろという課題を出した。
無実の罪により死刑にされた王妃(邪魔になった元妻)の娘オリゲルドは、幼少から監獄での生活を強いられていた。新しい王妃の娘アルディスは、幼い頃から蝶よ花よと愛されて、まるで天使のように優しく美しい王女だった。オリゲルドは生まれた時から幸せを約束された妹を憎み、アルディスは不運な姉を憐れんで慈悲をかけた。
一日考えるまでもなく、私にはオリゲルドしか出来ない。誰が見たってアルディスは出来ないとわかるだろう。偽善者だった小学生時代だったら、私こそアルディスだと思ったに違いないけど、17になった私には、もうアルディスが別世界の人間だとわかっていた。先生が書いたシナリオを読んでも、私は知らぬ間にオリゲルドに感情移入していた。
「私は誰も愛さない。誰も私を愛さない」
まるで私の為に書かれたようなセリフじゃないか。
でも次の日、先生は私にはアルディスを演れと言った。
私は今まで貰った役を断った事は一度もない。どんな役も演れると信じていた。でもアルディスだけは出来ない、そう思った。アルディスを憎しむオリゲルドの心は知っている。でも誰も憎まないアルディスの心は知らない。どんなにがんばってもアルディスには成りきれない。そして私以外の誰にもオリゲルドは出来ないだろうと思えた。
しかし私は自分の心の内を口に出すのが嫌いだった。
私はオリゲルドをやりたいです、と一言だけ反発したが、先生は聞いてくれなかった。
先生はガラスの仮面ファンだったので、私を北島マヤに見立てていたのだろう。(どっちかっていうと姫川亜弓の方に見立てて欲しかったんだけど……)今日から一ヶ月、アルディスとして生活しろと言った。もちろんオリゲルド役の子にもそう言った。(オヤジのくせに少女漫画に影響され過ぎだが、私も乗りやすい性格だから疑問にも思わず受け入れた)
私は戸惑った。アルディスが何をどう感じるのか、わからなかった。北島マヤはどうやってアルディスに成り切ったのだろうと思い、漫画を読み返したが、漫画のように簡単にはいくわけがない。私は戸惑いながらもアルディスの心を理解しようと毎日そのことだけを考えていた。
何がどう変わったのかわからなかった。
1ヶ月たたないうちに友達は私を変わったねと言うようになった。顔が優しくなったと言う人もいた。私は自分の中の怒りが消えて行くのを感じた。確かに私はアルディスの心に近付いていた。誰に何をされても怒りを感じない、憎しむ心を持たない私が生まれようとしていた。愛する事だけを知っている、誰も自分に危害を加えるだろうなどと思いもしない、すべてを許す優しさだけで作られた王女。
でも、やはりそれは完璧ではなかった。
そんな課題を出した事を先生すらも忘れていた頃、私はアルディスを掴みかけたのに、後一歩何かが足りないと感じていた。
私は誰も憎まない、誰も嫌わない、誰にでも慈悲深く優しい心を理解した。でもどうしても克服出来ない壁があった。それは、誰もが私を愛し慈しむだろうとは、どうやったって思えないという点だった。
それでも私はそれなりに、アルディスの役を上手くこなしたと思う。先生はやっぱりお前が一番アルディスにぴったりだと言って満足した。先生は何もわかっていない。私にオリゲルドを演らせれば、100倍の満足が得られたのに。私のオリゲルドは100万人の観客にだって涙を流させる事が出来たはずだ。
アルディスに成り切って生活する習慣は、劇が終わっても私の身に染み付いてしまった。私は殆どの場面で怒りを感じずに生きる方法を身に付けた。それだけでもどんなに楽になったことだろう。でも、相変わらず誰にも愛されないという妄執に捕われていた。
私の心そのものだと思えたオリゲルドのセリフ、
「私は誰も愛さない。誰も私を愛さない」は、
「私は誰でも愛するけれど、誰も私を愛さない」
に変わっただけだった。
何度も告白された。でも彼等は私のどこを好きだと言うのだろう。私の事を何も知らないのに。彼等が好きだと感じたのは私の容姿だけ。結局は夫だってそうだった。姿が見えなくても、どんな性格でも私だけを一番好きだと言ってくれる人は、どこにもいない。
それは私だけじゃなくて誰にでも言える事なのかもしれない。私の願いは、命をかけて守ってくれるナイトが欲しいと思う、ただのお姫さま願望かもしれない。お姫さま願望は女の子なら誰だって持っている。それを現実と見境なくしてしまうのは、私だけだ。
時々自分が狂っているかもしれないと思うのはそんな時。理想や憧れや虚構と現実の区別がつかない。
何度もそんなものは存在しないと自分に言い聞かせた。でも気付くと心は無償の愛を求めている。運命の人がどこかにいるはずだと信じている。滑稽としか言い様がない。


