思春期小説〜不要家族
不要家族 第二話
「今日さ、渋谷いかねえ?」
授業中にメモを回して来たのは、環だった。彼女はクラスで一番背が高くて、クラスで一番美人だった。
あたしは環と、それから香苗と恵子とつるんで、時々クラブに行ったりもしていた。
都立高校に通う十七歳のあたしは、相変わらず金がなくて、週に三日、本屋でバイトしていた。
親父は相変わらず帰って来なくて、たまに、そう、月に一回か二回帰って来ても、あたしと顔を合わせない事もあったし、定期的に小遣いを貰えるという状況は、全く期待出来なかったのだ。
「今日バイトだってば」
あたしはメモをまわした。
他の子たちは授業中でも構わず、携帯でメールしあっていたけど、あたしは携帯を持っていなかった。
今どき携帯を持っていない女子高生なんて化石ものだけど、本屋のバイトだけで、遊ぶ金も携帯代も、それから洋服代も賄うのは無理だった。
時給は七百五十円、一日に三時間では、月三万弱にしかならない。携帯を持ったら一万は消えてしまう。
あたしは携帯を買えっていう環達の言葉に、頑に逆らっていた。
世間での女子高校生の見方は、あまりにも一様だった。
世の中の大人たちは、派手な化粧をしたり茶髪にしている女の子は、たいてい援助交際していると思っている。あたしたちが、オヤジはたいてい女を買っていると思うのと一緒だ。
けれど実際にはそんな事をしているのは一部だった。
あたしが通っていたのは、中くらいよりちょっと上レベルの公立高校だったから、学校では真面目な子の方が圧倒的に多かった。野暮ったいと思うくらいに洒落っ気がなくて、それでいて勉強が出来るという訳でもなく、何の取り柄もない女の子が大勢いた。それこそクラスの四分の三はそんな感じだった。
あたしは昔から、自分は特別な存在だと思っていた。
そういう根拠のない自信って、たぶん誰でも持っている。あたしが、何の取り柄もないと思っているクラスの女子たちだって、自分ではどこかが特別だと思っているに違いない。
あたしはそれを知ってはいたけれど、認めはしなかった。あたしが特別なのは絶対的で、みんなが特別だと思っているのは、大いなる勘違いでしかない。
あたしのどこがどう特別なのか、それを口で説明する事は出来なかったけれど、あたしと同じ思いを抱いて、あたしを特別と認めてくれる子が、自然と集まって友達になった。
環は確かに特別だ。モデルみたいにスタイルがよくて、街に出ればいつもスカウトされていた。
中肉中背の香苗は、美人でもない癖にびっくりするくらい男にもてる。何がどういいんだかわからないけれど、とにかく一緒にいて最初に声をかけられるのは、美人の環じゃなくていつも香苗だった。
恵子は家が金持ちであたしたちの中じゃ、一番頭がいい。金持ちなのに、何で公立なんかに来たんだと聞いたら、女子高がイヤだったからだと答えた。頭がいいくせに、それをひけらかしたりしない、いいやつだった。
でもたぶん大学受験の時は、一人だけ、有名どころに入っちゃうんだろうなと思う。
あたしには、何でもかんでも器用にやってのける才能があったし、本番にめっぽう強い運と度胸があった。頭は恵子の方がずっといいけれど、あたしだったら、実に要領よく、恵子と同じ大学に行けるかもしれない。
あたしたちは似た者同士だ。
みんな自分は特別だと思っていて、それを裏付ける魅力がなにかしらあって、そして、友達に選ぶのも、自分が認めた子だけだというプライドを持っていた。
中学ではどこにも所属出来なかったあたしが、やっと居心地のいい場所を見つけられたのだった。それは環にしても香苗にしても恵子にしても同じに違いない。
あたしたちには、見た目も能力も全然違っていながら、姉妹のように、心の奥では呼び合うものがあったのだ。
あたしたちは学校の中でも目立つグループで、男もいっぱい寄って来たし、何かしようって時には必ず中心になる存在だった。だから、学校は嫌いじゃない。
環と香苗は、成績は中くらいだった。話していても馬鹿だとは思わないから、やれば出来るんだろうけど、二人は今それどころじゃない。金儲けに夢中だった。
さっきあたしは、援助交際しているのなんて、ほんの一握りだって言ったけど、環と香苗はその少数に入っていた。
環はブランド品を買う為に金が必要で、香苗は将来の夢の為に貯金したがっていた。
恵子は家が金持ちだったから、自分で稼ぐ必要がない。だから援交していない。
あたしは、何度も誘われたけど、まだ足を踏み入れていなかった。
本屋の一ヶ月分の給料が、たった一日で手に入るんだよ、という言葉は確かに魅力だったけど、あたしはやる気にならなかった。
たぶんこういうのを、トラウマっていうんだろう。いらない子を妊娠して責任を取ってもらうような事には、絶対なりたくなかった。
あたしはあたしなりに、家に帰って来ない親父を持った事で、傷付いていたんだと思う。それを環たちに正直に話したが、一笑に伏された。
「馬鹿じゃねえ?」
口を揃えて、彼女達はそう言う。恵子だけが何も言わなかった。
けれどあたしはその事で、ムカついたり落ち込んだりはしなかった。
あたし自身もちょっとだけ、こんなのは馬鹿げていると思う。それに半分はふざけて言っているだけで、心の底から傷付いているわけじゃないのも知っていた。
ただなんとなく、援交するのが嫌だったから口実にしただけなのだった。その「嫌」にも根拠はなく、何かきっかけがあればやっていたのだろうと思う。たいした問題じゃないと環は言うが、その通りだとあたしも思った。
それでも、なんとなく踏み込めない自分がわからなくて、トラウマなんだろうと思ってみたりしたのだった。
環はよくおごってくれた。あたしが金がないと知っていたし、環は月に二十万くらいは稼いでいた。彼氏じゃないけど、特定の男もいた。
一度も会った事はないけれど、かなりいい線いってるという噂だ。噂って言ったって、環本人と香苗の二人から聞いただけなんだけど。その男は三十歳で、金払いもいいらしい。
あたしの中の援交のイメージは、「デブでハゲでお腹の突き出した中年オヤジに、お小遣いを貰う若い娘」だったが、実際は違っていた。何も好き好んでデブでハゲの中年を選ばなくても、もっとマシなのがいっぱいいるらしい。
ひと昔前はテレクラが主流だったらしいけど、今はみんな携帯Webで男と知り合う。だから、ある程度携帯とかの操作が出来る、若い年齢の男と知り合うことが多いのだ。
機械音痴の中年ハゲジジイは、最初からシャットアウト。それでももし待ち合わせ場所にいる男が気に入らなかったら、すっぽかせばいいだけの話だ。
だから環はあたしに、携帯を買えとうるさいのだった。
その日は結局、あたしはバイトを休んで渋谷に行った。109で買い物して、その後マックでだべっていただけだけど、楽しかった。
対等の友達関係の中には、微妙な力関係が存在している。
あたしたちはいつも、最終的には環に弱かった。それはたぶん、環がもっているカリスマみたいなもののせいなんだろう。
決していやいやではなく、何でも自然に、最後は環の言う事を聞いている。あたしもそうだし、香苗も恵子もそうだった。
環はあたしには援交を勧めるが、恵子には絶対勧めない。恵子は親からクレジットカードを貰っていて、いくらでも自由に使えるからだ。
援交はすべて金の為、だから金が必要じゃない恵子には、不要なものだった。
「結局さ、プロレタリアートは死ぬまで労働すんのよ。ちょっとでも楽して稼げるうちに稼いでおいた方が、年とってから楽なんだってば。あんたが恵子みたいなブルジョワジーだったら言わないよ」
と、突然悟ったようなことを言い出すのだった。
たぶん環も香苗も、世の中の多くの援交女子高生とは、全く違う考えを持っていると思う。そう思うことは、大人が「最近の子供は……」というのに似ていて、あたしとしては不本意だったけど、援交女子高生の頭がからっぽなのは、誰が見ても否定出来ない事実だ。
そして環と香苗を、そんな馬鹿ギャル達といっしょくたにすることは出来なかった。
あたしたちは、特別なのだ。
夏休みに入って、あたしはとうとう、携帯を買った。
二十一世紀の女子高生が、携帯持っていないっていうのは、環に言わせれば許せないことだった。
今は何でも携帯メールで連絡を取り合う時代だ。携帯がなければ、つきあいそのものが、成り立たないとまで言われて、買うしかなくなってしまった。
つまるところ、あたしは環が好きなんだ。環と、これからもつき合って行きたいし、環に嫌われたくなかったし、携帯を買うのが、絶対に嫌だという訳でもなかった。だから、ここで携帯を買ったとしても、それは環に強制されて無理矢理、っていうんじゃなく、その時期が来ただけ、と言えるのだ。
二十五日にバイト代が振り込まれたばかりだったから、携帯を買う金はなんとかなった。でも、これから毎月、使用料金を払っていくと思うと、本屋のバイトだけでは心もとなかった。
環は、自分から電話しなけりゃ、三千円以下で収まるよ、と言うが、持っていたら使いたくなるのが人情だ。
あたしは環の家に入り浸って、携帯メールのやり方や、Web検索の仕方を習った。
初めて手に入れた文化的なおもちゃは、かなり気に入った。
「写真も撮れんだぜ」
と、環が携帯を目の近くに持っていき、あたしに向けた。
「ほら」
その小さな画面に映った自分の顔を見て、あたしはなんだかよくわからない違和感を感じた。
あたしは携帯の中に閉じ込められた小人みたいだった。
環は早速写真を友達に送る方法を教えてくれた。
いっぺんにたくさんの事を聴いたので、もう何がなんだかわからなくなったが、適当にやっているうちに慣れるだろう。あたしは馬鹿じゃないのだし。
家にいても、誰かから一時間に一回はメールが入った。
携帯は素晴らしい。
あたしはまるで、新しい家族を得たようなものだった。
家にいて、誰も話し相手がいなくて、独りぼっちで日記を書いている時間が、携帯メールで人とコミュニケートする時間に変わった。
あたしは、日記を書かなくなっていた。
前にちょっと聴いた事がある。
日記を書く子っていうのは、心に不満や苛立ちがあって、それを解放しているのだと。その不満は、主に人間関係についてのものなのだと。
だから、誰かとコミュニケーションが上手く取れている子は、日記を書いたりしないものなのだそうだ。
確かに、日記って書こうと思っても、三日坊主になる子が多い。あたしがずっと続けられたのは、他にする事が何もなかったからだ。
その日あたしは、日記帳を捨てた。
あたしたちはお互いに「扶養」とは関係ない間柄だ。でも、確かに家族と言っていいくらい、毎日毎日、話をしていた。よくそんなに話す事があると思えるほど、しょっちゅうしょっちゅう、メールを打っていた。
携帯の中の家族は、本物の家族よりずっと、あたしの心を大きく占めた。
あたし達はお互いに必要とされているのを、ちゃんと感じていたと思う。心の通いあった姉妹なのだ。
二学期がはじまってすぐ、環が体調を崩した。学校を休む事は今までもよくあったけど、大抵はさぼりだった。体調が悪いから休むというのは、初めてだったと思う。
あたしたちは心配して、何度も何度も順番にメールを打った。
授業中は誰も彼もがメールを打つ時間と化していて、誰も先生の声なんか聴こえていなかった。でも、みんな静かにしていて、授業妨害にはならなかったから、先生も何も言わない。
環は、「寝ているのも退屈だから、どんどんメールくれ」と返信して来た。どうやら風邪ではなく、生理痛らしいことがわかり、みんなで「なーんだ」と笑いあった。
放課後環は、あたしにメールを打って来た。
「今日さ、篠原と会う約束だったんだけど、ちょっと行けそうもないから、代わりに行ってくんない?」
篠原というのは、環がつきあっている特定の男で、かなりルックスもイケているという例の金払いがいい三十男だった。
「やだよ、何であたしが? 断りゃいいじゃん」
あたしは返信した。
「こいつ、断ると後がうるさいんだ。いい金になるのに、怒らせて手放したくないんだよ。わかるだろ?」
「わかんないよ。あたしと関係ないじゃん」
「頼むよ、後で五万払うからさ。久美だっていい加減男がいてもいいだろ? ヤツはあっちもなかなかだから、絶対気に入るって」
「何であたしが見た事もない奴とやんなきゃいけないワケ?」
「見たら気に入るって言ってんだろ」
激しいメールの応酬が続いた。
で、結局、最終的にあたしは折れた。
あたしは度胸だけは座っているので、決めてしまえば行動は早い。別に緊張したりドキドキしたり後悔したりすることもないし、どうでもいいやって割り切ってしまえる性格だ。
これはあたしの長所でもあり、短所でもあると思う。今の場合は、明らかに短所だ。だって生まれて初めてのセックスを、身も知らぬおじさん相手に承諾してしまったんだから。それでいて後悔もなく、まあいいかと思っている。これは結構問題かもしれない。
これも一種のトラウマか? とか考えてみたりする。その時点でもう完全に、人生おちょくっていた。
待ち合わせは渋谷だった。何でいつも渋谷かというと、何か食べるにしても洋服を買うにしても、お手ごろ価格な街だからだ。
だからあたしたちは、いつでも渋谷へ行く。そこにはあたしたちみたいな女子高生がいっぱいいて、あたしたちはその中の一部に溶け込む事ができる。つまり、何をしていても浮かない街なのだ。
待ち合わせも、もし他の場所だったら、すぐに誰が相手かわかってしまうけど、渋谷なら女子高生がいっぱいいて、どれが自分なのか特定されない。つまり、嫌ならいつでも素知らぬふりが出来るのだった。
尤もこの場合、環に約束してしまったあたしは、逃げるつもりなんか、これっぽっちもなかったんだけど。
あたしたちは、ハチ公前なんていうベタな場所で待ち合わせる事になった。 環は男に連絡をつけて、あたしの携帯番号を教えておくからと言った。あたしは携帯がかかって来るのを、待っていればよかった。
もう何も感じなかった。少なくとも感じていないと、自分では思っていた。でも、携帯の着信音である「Dearest」が鳴り出した時、ドキッとした自分には、不思議と驚いてしまった。
「はい」
すぐに気を取り直して、携帯に出た。
「あ、篠原ですけど」
案外礼儀正しい普通っぽい声がした。あたしは黙っていた。
「久美ちゃん?」
馴れ馴れしいやつ。
そう思ったが、環が名前を教えたのだろう。他に呼びようもないか。そう思い直して、適当に返事した。
「はい」
「どこ? 俺今、黒のシャツにジーンズで、ハチ公の目の前に立ってる」
「あ、わかった」
「わかった? どこどこ?」
「そっち行くよ」
「服装は?」
「制服」
「ゲッ。それマズくないか?」
「だって急に言われて着替える暇なかったもん」
だんだん受話器の向こうの声より、直接耳に聞こえる声の方が大きくなっていた。
「ども」
あたしは携帯を切った。確かになかなかナイスなお兄ちゃんだった。
三十というからもっとおじさんを想像していたけど、大学生くらいに見えた。背が高くて茶髪で色白だった。目は一重だったが、腫れぼったい印象はなく、すっきりした顔だちは、清潔そうに見えた。
「おお、可愛いジャン。やりぃー」
男はあたしの容姿を見て、素直に喜んだ。あたしもそう言われれば悪い気はしない。環が気に入っているだけあって、なかなかだねと心の中で一人、納得していた。
「なんか食べる?」
早速あたしの腰に手をまわして、男が訊いた。
「うん、甘いの食べたい」
「オッケー」
ウキウキした様子で足取りも軽かった。
環は金払いがいいと言っていたが、一体何の仕事をしているんだろうと、不思議に思った。そんなに金持ちそうには見えなかったからだ。
軽薄だったけど、話は面白かったので、別に嫌な感じは受けなかった。これからこの見知らぬ男に、五万円で自分を売るんだなあと思うと、不思議な気持ちがした。
あたしたちは109に行って、しばらくウィンドウショッピングを楽しんだ。それから男が、アルバローザであたしに服を買ってくれて、着替えるように言った。さすがに制服姿の女子高生と一緒に歩くのは、恥ずかしいらしい。それともホテルに入る時、補導でもされたらマズイと思ったのか、あたしにはわからなかった。
男の趣味なのか、ヒップハンガーの台形ミニスカートに、ワッペンのついたベスト型のトップスという、バリバリ女子高生ルックだった。
別の店で、ミュールも買ってもらった。
制服と鞄は、駅のコインロッカーに入れた。
男は自分をジュンと呼ばせ、あたしをクミと呼ぶ。あたしたちは、まるでずっと前からの知り合いのように、自然に喋っていた。
ジュンは環のことを、猫でも呼ぶようにタマと呼んだ。環のことを話すジュンは、ちょっとオヤジくさかった。まるで自分の娘か妹かのことを話すように、自慢気に言うからだ。
あたしは環を好きだったから、ジュンが環を誇りに思っているのだと知ると、嬉しくなって、知らず知らずのうちにジュンに好感を抱いていた。
あたしたちは、ちょっと暗くなりかけた七時くらいに、ラブホに入った。
初めて入るラブホは、意外と普通っぽかった。後ろ暗いイメージを持っていたが、全然明るくて驚いた。あたしはあちこち調べて回って、まるでハツカネズミみたいだと笑われた。
「マジでバージン?」
ジュンが期待の眼差しを向けて来るのが鬱陶しい。
「バージンだと悪いかよ」
あたしはちょっとふて腐れて、地で受け答えた。
「なんか、度胸座ってない?」
「だってあたし、そういう性格だもん。しょうがないじゃん」
「ふーん」
ジュンは自分で買ったあたしの服を脱がせにかかった。
「シャワーとか、浴びないワケ?」
あたしは別に行為から逃れたかった訳じゃないんだけど、なんとなく落ち着かなくなってそう訊いた。
「浴びてもいいよ」
ジュンは余裕でベッドに腰を降ろした。
あたしの反応を楽しんでいるのかもしれないと思ったが、そんな事で楽しませてやるのは癪だったので、なるべく無表情を装った。自分でも気付かないうちに、本当は緊張しているのかもしれない。
あたしは自分で服を脱いで、軽くシャワーを浴びた。そしてそこに置いてあったバスローブを羽織った。
下着はつけなかった。どうせ脱ぐんだからつけても無駄だ。
あたしがシャワーから出て来るのを、ジュンはニヤニヤしながら見ていた。こういうものなんだろうか。あたしにはよくわからない。
手招きされて近付くと、ジュンはあたしを自分の目の前に立たせたまま、バスローブを剥ぎ取った。あたしはいきなり素っ裸にされて、柄にもなく赤面してしまった。こんなはずじゃなかったのに、急に逃げ出したくなった。
「なるほどね。正真正銘のバージンらしい」
直立不動のあたしの身体をいじくり回しながら、ジュンは満足気だった。それから何がなんだかわからないうちに、あっという間にあたしはバージンじゃなくなった。
なんて簡単なんだろう。
ジュンは確かにスマートだった。あたしに痛みも与えなかったし、ほとんど、気まずい思いもしなかった。
「タマにバージン紹介してやるって言われた時は、あんまり信じてなかったんだけど」
ジュンがあたしの髪を弄びながら言う。
「二十万の価値はあったよ」
ニヤリと笑った。明らかに確信犯だ。
「え? 何? 何それ。二十万て何よ」
あたしは初めて聴く事実に、頭が混乱していた。
つまり、環は計画的に、あたしを自分の男に売ったってこと?
「タマに二十万先渡ししたよ。クミの取り分はいくら?」
ジュンは面白そうに笑っていた。こいつ、案外性格悪い。あたしはそう思って相手を睨み付けた。だが、怯むような男じゃなかった。
「環に口止めとかされなかったワケ?」
あたしはムッツリしてますますジュンを睨み付けた。
「終わった後なら話してもいいって。タマの性格知ってるだろ?」
そうだった。こんなことをしても、絶対恨まれない自信があるのだ。環って女は。
思うに、これはあたしが携帯を買った時から、巧妙に仕組まれていた計画だったのかもしれない。
あたしは盛大な溜め息をついた。
「五万だよ、あたしの取り分」
「そりゃ気の毒に」
「バージンに二十万も出す馬鹿男がいるなんて、知らなかったんだ」
「ひどいな、馬鹿男かよ」
あたしはジュンには答えず、独り言を言った。
「これであたしも援交の道まっしぐらか……」
ジュンが乗り出して来て、ベッドにゴロゴロしていたあたしの上半身を起こした。
「しばらく、俺とつきあわない?」
真面目なのかふざけているのか、よくわからない。
「あんた、馬鹿じゃないの? 友達の男とつき合うワケないジャン」
「その友達に売られたんだから、つきあったっていいジャン」
あたしはジュンをキッと睨み付けた。
「ヤな奴」
「怒ってるワケ?」
「別に」
「バージンでいたかった訳じゃないんだろ? 初めての相手って大事なんだって知ってた?」
「知らない」
「へたくそな奴だと、二度とやりたくなくなる」
「へえ、じゃああんたはお上手ってワケ?」
「痛くなかったろ?」
自信ありげに口の端を歪めて笑う。
「あたし、初めてだからわかんない」
冷たく応えた。
だけど結局、あたしとジュンはつき合う事になった。
金に目が眩んだ訳じゃない。やっぱりどこか、ジュンと一緒にいると楽しかったんだろう。女を居心地よくさせることにかけては、自分が一番だと自惚れているだけあって。
それからあたしは、ジュンのBMWで、どっかのホテルのレストランに連れて行かれ、上等な夕飯を食べた。車なんかどこに置いていたのだろうと思いながら、あたしは初めて食べるオマール海老を、口の中で味わっていた。
仕事を訊いたけど、教えてくれなかった。
いい車に乗っているし、女と寝る為に二十万も散財するところを見ると、確かにジュンは金持ちなのだろう。だけどそれは、生まれつきっていうようにも見えなかったし、現在事業に成功している風でもなかった。
あたしはいつまでも、ジュンがどうして金を持っているのか、そればかり考えていて、せっかくの御馳走を上の空でやり過ごしてしまった。最後の最後になって、それを後悔して、デザートだけは集中して食べた。
ジェラードの乗ったババロアみたいなケーキは、とろけるように美味しかった。
家まで送ってくれると言われたが、家を知られたくなかったので断った。
ジュンと別れてから、あたしは環にブーイングメールをかました。環は全然気にしないだろうとは思ったけど、一応ね。
「怒んなよ。十万渡すから」
環はあっけらかんとしていた。あたしはジュンとつき合う事になったと、環に報告しておいた。気にしている様子は全くなかった。
環もあたしも、週に一回づつ、ジュンと会っていた。その度に三〜五万の小遣いを貰い、服を買ってもらったり美味しいものを食べさせて貰ったり、それなりに楽しんでいた。
ジュンはあたし達以外にもつきあっている女性がいるらしかったが、別に気にもならなかった。
あたしはジュンがくれる金で充分満足だったので、他の男とはつきあわなかった。だからあまり援交しているって意識は持っていなかった。年上の男に多少の小遣いを貰うのは、そんなにおかしいことじゃない。
昔、祖父に小遣いを貰うために、あたしは祖父の肩たたきをしたり、お使いを頼まれたり、よくわからない囲碁の相手をしてあげたりしていた。言うなれば、それと同じことなのだ。
祖父があたしに要求したものより、ジュンの要求の方がよっぽど楽で、そしてくれる金の額も多かった。
セックスも慣れて来ると、なかなか悪くないと感じるようになり、あたしは今までになく充実した日々を過ごしていた。
あたしは明らかに、外見派手になった。
今までは千円とか二千円のバーゲン服を着回していたが、金を手にした今は、ブランド物しか買わなくなった。ジュンが一番最初に買ってくれたアルバローザは、あたしのお気に入りとなった。それからモルガンとか。いずれにしても、渋谷ファッションだ。
化粧品も、今までは百円均一で買っていたのに、環と一緒に背伸びして、デパートの一階でシャネルを買い漁った。
他の子はみんなシュウ ウエムラか、ランコムか、クリニークが多かった。でもあたしは、シャネルで大人になったような気分に浸るのが、楽しくて仕方なかった。
ババくさい、と恵子が笑った。
全部使っちゃわないで、半分は貯金すべきだと香苗が言った。
二人の言う事は尤もだった。でもあたしは、今が楽しければそれでいいという気になっていた。
あたしは女子高生らしい派手なメイクより、普通っぽいメイクが好きだった。
マスカラをつけすぎたり、ラメを飛ばし過ぎたりすると、みんな同じような顔になる。そういうことをして喜んでいるのは、ブスばかりだ。
あたしは、環ほど美人じゃないにしても、顔には自信があった。だから、薄化粧の方がずっと可愛さが引き立つ事を知っていた。
環も同じだ。流行りのラメを取り入れはしたものの、ゴッテリと塗りたくったりはしなかった。環の化粧には、どこか品があった。あたしは環に、携帯の使い方と一緒に、化粧の仕方も習った。
毎日四人は揃わなかったが、二〜三人で夜遊びを楽しんだ。あたしと環はいつもいたけれど。
母は相変わらず陰気な愚痴をこぼしてあたしを苛つかせたが、毎日家に帰り着くのは真夜中だったので、それほどの被害は被らなかった。弟とは顔も合わせない日が続いた。もちろん親父とは、それ以上に顔を合わせる事などなかった。でも、たまに帰って来た親父に、あたしはもう小遣いをせびる必要がなかった。だからもう、帰って来ようが来まいが、どちらでもよかった。
あたしは世の中の女子高生がそうであるように、自分中心の世界を楽しく過ごしていた。友達もいて、男もいて、金もあって、いいこと尽くめだった。
けれど、過去最高の楽しい毎日も、そう長くは続かなかった。
世間はのどかな小春日和。誰もが浮かれてしまうような麗らかな五月だと言うのに、一体全体、何であたしがこんな目にあわされなければならないのか。
あたしはたいがいの事には驚きもしなければ、哀しみもしない、鋼鉄の心を持っていたが、それでも、ここまで予期せぬ出来事に出くわせば、心臓が止りそうなほど驚くのは無理もなかった。
ジュンとはいつも、あたしたちが「フランス」と呼んでいるロココ調のラブホの六一五号室で待ち合わせていた。いつもジュンが先に入っていて、あたしはたっぷり一時間は遅刻する。その部屋がふさがっている時だけ、ジュンはあたしに居場所をメールして来た。
「フランス」はあたしのお気に入りだった。そこは確かにラブホだったが、他のラブホとはなんとなく違った気品があるように思えた。彫刻された白いベッドヘッドや、趣味のいいベッドリネン、それに外国のような壁紙は、海外の小さなホテルのようだった。尤もあたしは、一度も海外に行った事などなかったのだが、それでも「フランス」は、あたしにとって異国情緒あふれる素敵な場所だった。
環は、シティホテルでジュンと会っていた。ジュンは最初、あたしにどっちがいいか訊いた。でもあたしは、この非日常的なラブホの雰囲気が好きだった。
ジュンとは恋人同士ってわけじゃない。ただの、身体だけの関係なのだ。それをいつでも忘れないようにするために、あたしはラブホに行こうと言った。
ジュンは別に場所なんかどこでもいいという感じだった。色々なラブホに入ってみて、その中で一番気に入った「フランス」が、定宿となった。
あたしはいつの間にか、毎週水曜日の夕方、「フランス」でジュンに会う事が、自分の生活の一部になっていた。それを突然、こんな形で取り上げられることになるなんて、思いもしなかった。
あたしは今の今まで、自分は運のいい人間だと信じて疑わなかった。だけど。
もしかしたら、あたしって、最悪の星の下に生まれて来たのかも。
こんな時、一体どうすればいいんだろう。誰も頼れる人はいなかった。

