思春期小説〜不要家族
不要家族 第三話
川島という名前の刑事は、あたしに冷たかった。あたしをそこいらにいるどうしようもない女子高生たちと一緒にして、まるで憎むような視線を向けてくる。
どうせロクでもないことしかしていないんだろう。とか、他にも色々犯罪を繰り返しているんだろう。とか、川島はあたしに悪意だけをぶつけて来た。
「他にも、っていうかあたし、犯罪なんか一つもしたことはないんだけど」
そう答えると、
「ぶざけるな、援助交際のどこが犯罪じゃないんだ」
と、大声を上げた。
そういうような口汚い中傷を、あたしはたいして気にしていなかった。自分が言われているのだと、ハッキリ認識出来なかったんだと思う。何が起こったのか、本当に理解するまでには、何年もかかるような、突拍子もない事件だった。
あたしはただぼんやりと、座っているだけだった。何も考えられなかった。考えないで口に出た答えは、すべて、一度の例外もなく、川島を怒らせた。
ジュンとのつきあいは、犯罪だったんだろうか。
あたしにはとても、そうは思えなかった。
親父に小遣いを貰うのと、彼氏に小遣いを貰うのと、どこがどう違うのか。といっても、ジュンは彼氏じゃないんだけど。だからって援交の相手なんて思ったのは、最初の一回以来、一度もないのに。
もう一人の刑事は、親父と同じくらいの年齢だった。若さんと呼ばれていて、穏やかな優しさを持っていた。あたしは若さんだけしかいない時には、多少の受け答えをして、川島には一切口をきかなくなった。
川島は最初からあたしを敵視していた。あたしが何をどう答えようと無駄だ。会話は成立しない。そのことがすぐにわかったので、黙ることにしたのだ。
あたしは無駄が嫌いな性格だった。合理的、とでも言えばいいのだろうか。そういう自分の性格を、あたしは自慢に思っていた。
川島は馬鹿だ。あたしは馬鹿とは口をききたくない。それがあたしのプライドだ。
あたしは若さんに、あたしが知っている事は全部喋った。一気には話せなかったが、少しづつ少しづつ、誘導されるに従って、質問に答えた。同じ事を何度も何度も訊かれたが、その度にちゃんと正直に答えた。
あたしが約束の場所に行った時、フランスの六一五号室で、ジュンは死んでいた。あたしは最初、ジュンが死んでいるなんて思わなかった。ただ、眠っているだけだと思っていた。
いつもは部屋をノックして開けてもらうんだけど、その日はドアが少しだけ開け放してあった。だからあたしは黙って部屋に入った。ジュンが眠たくて、起こされたくなくて、それでドアを開けておいたんだと、あたしは勝手に解釈した。
部屋は暗くなっていた。洗面所から漏れる光だけでは、ジュンの様子はわからなかった。
あたしはジュンが起きるまで、シャワーでも浴びようかと考えた。それで、真直ぐシャワー室に向かった。
ジュンが死んでいるその部屋で、あたしは呑気にシャワーなんか浴びていたのだ。今考えると、本当にゾッとする。
時間を何度も聴かれた。でも、時計なんか見ていなかった。だいたい六時か七時って感じの、大雑把な時間しか、あたしには言えなかった。でも、シャワーを浴びていたのは精々十分かそこらだろうと思う。
あたしはバスローブを着て、ジュンの方へ近付いた。ジュンはベッドカバーの上に、うつ伏せになっていた。先にシャワーを浴びたのか、バスローブを羽織っていたが、腰紐は絨毯の上に落ちていた。
あたしは何気なく腰紐を拾い上げて、ベッドに座った。そして初めて、ジュンの顔を覗き込んだ。
心臓が止まりそうになったのは、その時だった。なぜって、ジュンは目を見開いていたのだ。それがどういうことなのか、あたしにはすぐにわかった。
あたしはたっぷり五秒放心して、そして慌てて飛び退いた。それからもう一度ジュンに近付いて、だらりと垂れた腕に触ってみた。固くなってはいなかったし、冷たくもなかった。
手首のところで脈を見ようとした。けれど、案の定動いてはいなかった。
あたしは取りあえず、冷静になろうとした。何故こんなことが起こってしまったのか、考えてもわからないだろうということは、すぐにわかった。そういう時は、何も考えないのが一番だということも。
とにかく服を着て、あたしは部屋を出た。幸い、受付には誰もいなかった。 でも、駅の方向に歩きながら、あたしは自分がどんなに馬鹿だったか、気付き始めていた。
後悔せずには、いられなかった。
環と同じように、シティホテルにしておけば、こんなことは起こらなかったかもしれない。ラブホがいいなんて、言うんじゃなかった。
あたしはあたしらしくもなく、気弱になっていた。このまま何事もなかったように、家に帰るのは無理だった。
まず、あちこちに指紋をつけてしまったこと。
それをそのままにしたこと。
ジュンが死んだ直後だったということ。
つまり、死亡推定時刻に、自分がジュンと一緒にいた証拠を、山ほど残して来てしまったことに気付いたのだ。
あたしは観念して、駅に行き着く前の、路上の電話ボックスから、警察に電話した。一一〇番通報するのは、生まれて初めてだった。
このまま逃げても、すぐに捕まってしまう。それなら通報して、死んでいましたと言った方が、遥かにマシというものだ。
それに万が一にも、蘇生する可能性だってないわけじゃない。だってまだ暖かかったんだから。
学校にバレるとヤバいなと、一瞬だけ思った。でも、殺人容疑で捕まれば、どうせ援交もバレる。もはや隠しだては出来ない。
高校中退なんて絶対嫌だな。どうしよう。
その時は、呑気にそんなことを考えていた。
ジュンが死んで哀しいとか、そういう考えは全く浮かばなかった。結構親父に似て、冷酷な人間なのかもしれない。
事態がもっと深刻だとわかったのは、警察に拘留されてからだった。
重要参考人、ということになってしまったらしいあたしは、いくつかの事情を聴かれたら、すぐに家へ帰してもらえるものとばかり思っていた。でもそれは甘かった。
よくテレビドラマで見るような乱暴はされなかった。「お前が犯ったんだろ、吐け」ってやつだ。あたしが未成年で、そして女の子だったせいかもしれないし、若さんが出来た人だったからかもしれない。
とにかく、川島は厭味な奴だったけど、あたしは概して丁寧に扱われていたと思う。
あたしは最初、楽観していた。
これまでのあたしにしては、最高に緊張していたはずだし、困ったなとも思っていた。けれど、あたしは本当に何もしていないのだし、すぐになんとかなるだろうと、心の底では気楽な気持ちでいたのだ。でも、拘留が何日も続くに従って、さすがに不安になってきていた。
もしかして、あたしって容疑者?
もしかしなくてもそうに決まってるのに、気付いたのは大分経ってからだった。そして、生まれて初めて、自分は運が悪い人間なのだという確信に思い至ったのだった。
あたしは諦めのいい人間だ。多くも望まないし、どんな事にもすぐに適応出来る。それがあたしの持つ天才的能力だ。
だからって……。
殺人者として刑務所に入るなんていう環境には、なかなか適応出来るもんじゃない。
だんだん、ジリジリとした焦りを感じるようになり、あたしは自分を見失いそうになった。こんなのは自分じゃないと感じるほどに、あたしはあたしでなくなっていった。
何が起こったのか、あたしの方が訊きたかった。何がなんだか、誰かにきちんと説明して欲しかった。あたしがどうなってしまうのかも。
川島は意地悪くニヤついていた。
これは巧妙に張り巡らされた罠だった。あたしがどんどん追い詰められるように、そして自白するように、警察は仕組んでいたに違いない。丁寧に扱っているふりをしながら、その裏ではあたしを犯人と決めつけていたのだ。
あたしは自分とも思えない興奮した声で、「もういいでしょ、早く家に帰してよ」と叫んでいた。これまで、決して興奮する事などなかったにも関わらず、その時あたしは半べそ状態だった。
その後のことは、実を言えばよく憶えていない。一体どれくらい拘留されていたのかも、正確に把握する余裕はなかった。
三日なのか、三週間なのか、三ヶ月なのか。
あたしの時間の感覚は麻痺してしまい、三日と三年がたいして変わりない時間のように思えたりした。
最後には、もうダメだ、刑務所に入るしかないんだ、と諦めかけていた。それだけは憶えている。
だから、ある日突然家に帰してくれると言われた時は、どんな罠だろうと疑ったくらいだ。
警察での取り調べで、あたしは猜疑心というものを、植え付けられていた。 何日も眠れなかったし、刑務所に入れられるという憂鬱な想像をしなければならなかったせいで、あたしの思考回路は、正常に働いていなかった。
ぼんやりとしながら引っ張られるままに警察から帰されようとしていたその日、空の眩しさだけがあたしの目に飛び込んで来た。あたしは穴蔵から出て来たばかりのもぐらのように、光を避けなければならなかった。
あたしが乗せられるはずの車と入れ違いに、一台のパトカーが入って来て、目の前で止まった。
三人の男が降りて来て、警察署の階段をゆっくり上がった。あたしは階段の上に立ち尽くして、それを眺めていた。
時間がゆっくりと流れていた。あたしの頭は、まだ働いていなかった。
二人の刑事は、手錠をはめた真ん中の男に、両側から腕をからめていた。あたしはただそこに突っ立って、男が階段を一段一段踏み締めて近付いて来るのを、見守っていた。
真ん中の手錠をはめた男に、あたしの目は釘付けだった。何が起こっているのか、最初から最後まで、さっぱりわからない。
どうして親父が手錠をはめられているのか。
親父もまた、あたしをじっと見つめていた。かつてこんなにしっかりと、親父に見つめられた事があっただろうか。あたしの心臓はドキドキいっていた。 すれ違い様に、親父がほんの少しだけ、微笑んだように見えた。あたしは次の瞬間、親父を振り返った。連行されていく親父の後ろ姿が、目に焼き付いた。
気付くとあたしは車に乗せられていた。たくさんの報道陣が詰め掛けていたのに、その時初めて気がついた。
親父とあたしがすれ違ったのは、永遠のように思える長い時間のように感じたが、実のところ一瞬だった。その間報道陣の喧噪やカメラのフラッシュが、全く目に入らなかったのは、本当に不思議と言わざるを得ない。
家にも物凄い数の報道陣が押し寄せていて、あたしはもみくちゃにされた。それでも刑事の手助けで、なんとか家に入る事が出来た。
何がなんだか、本当にこれっぽっちもわかっていなかった。
母は半狂乱になって泣いていた。あたしを見ると突然襲い掛かって来て、すごい勢いでしがみついて泣きじゃくった。
母が泣いていたのは、あたしが帰って来たからじゃなくて、親父が警察に捕まってしまったからだと、途切れ途切れの言葉から、わかった。
弟も泣いていた。恨みのこもった目であたしを睨み付け、口をきかなかった。
母も弟も、あたしのせいで一歩も家から出る事が出来なくなっていたのだ。 新聞を取りに行く事さえ、出来なかった。あたしは事態を把握するために、テレビのニュースを見るしかなかった。母は話が出来るような状態ではなく、弟は物事を理解するには小さすぎた。
あたしは数日間、毎日買い置きのカップラーメンを食べながら、テレビを見ていた。そして、背筋がゾッとした。
警察署の中では全く知らなかったが、世間的には殆ど、あたしは真犯人ということにされていたらしかった。あたしが拾ったバスローブの腰紐は、凶器だった。ジュンは絞殺されていたのだ。
あたしが十七歳の少女だということが、世間を騒がせる理由の一つだった。 数年前から、十七歳の少年少女による凶悪な犯罪が、まるで予言のように頻発していた。その一貫として、この事件は話題性があったのだ。
あたしは、運悪く、十七歳だった。もうあとほんの少し経てば、十八歳になっていたのに、運悪く、まだ十七だったのだ。
そして更に悪い事に、本当の真犯人が、まさかの親父だったという事実が、あたしの前に、容赦なく突き付けられた。
最初のうちは、なかなか真相を掴む事は出来なかった。テレビの特集で断片的な情報が入って来るとあたしはますます混乱を来した。
一体ジュンと親父には、何の関係があるというのか。
そのうち徐々に、色々な事がわかり始めた。
親父は捕まったのではなく、自首したのだ。娘を庇うための詭弁ではないかと、ワイドショーはしきりに騒ぎ立てていた。
ニュースよりもワイドショーの方がずっと、たくさんの情報を報道していた。それが嘘か真か、という問題はさておき、あたしは取りあえず片っ端からビデオに撮って、何度も何度も、ネタにされたあたしたち父娘を見た。
断片的情報をつなぎ合わせて、あたしが出した結論は、こうだった。
まず、親父が家に帰って来ない理由は、女が原因だった。これは昔からわかっていたことだ。しかし、それがどこの誰なのか、ということは、今まで誰も知らなかった。母は現実から目を背けていたし、あたしは興味がなかった。
ワイドショーはあたしたちが知らなかった真実――かどうかわからないが――を調べ上げた。
親父の女は、なんと既婚者だった。相手も既婚なら、親父だって夜には家に帰ってくればいいじゃないかと、関係ない事を考えたりもしたが、とにかく相手は同年代の既婚の女だった。どうやら親父の大学時代の同級生らしい。
同年という事は、その女は、母より五つも年上であるという事だ。
若い女に入れ込んでいるのだとばかり思っていたので、これにはちょっとばかり驚いた。
それはまあこの際どうでもいいとしよう。
ワイドショーが推測するに、どうやら女は親父とつき合っている事を、夫に隠し通していた。だがジュンがこれを嗅ぎ付けた。
女とジュンがどういう関係なのかは、番組によって違う解釈だったが、とにかくジュンが、女を脅して金を巻き上げていた。女は、というより女の夫は、いくつも会社を経営している金持ちだったのだ。
一方親父は、女を真剣に愛していた。
そこはちょっと嘘くさい気もするが、まあワイドショー的にはそういうことになっていた。それで、女の為にジュンを殺した。まさか自分の娘が容疑者にされるとは、思っても見なかった。
上手い事ジュンを消してホッとしたのも束の間、自分の娘が完全に犯人にされようとしていることに、親父は焦った。しばらくは様子を見ていたが、娘の刑が確信されると絶望的になり、やむなく自首するに至った。
あたしが信じられなかったのは、まず、親父が女の為に人を殺した、というところだった。
親父は覚めた人間だとずっと思っていた。親父だけでなく、男がそんな風に女を愛する事が出来る生き物だなんて、あたしの中では衝撃だった。
それはもちろんワイドショーがでっちあげただけかもしれない。でも、他に親父が男を殺す理由がない以上、ワイドショーの推理を受け入れるしかなかった。
もう一つ、決定的に信じられなかったのは、親父があたしの為に自首したというところだった。
親父は今まであたしたち家族に、愛情らしきものを示した事など一度もない。確かに扶養はしてくれていた。きっちりと、月に二十万欠かさず振り込まれてはいた。だからといって、それは出来てしまった不要な子供に対する責任の範囲でしかなかった。少なくともあたしは、そう思っていた。
そんなあたしの為に、自首なんてするだろうか。自首すれば殺人犯として、残りすべての人生を失うことになるのに。
だがあたしは、あの時、警察署ですれ違ったあの時、一瞬だけ見せた親父の笑みを憶えていた。
一瞬の微笑み。
生まれて初めて見る、自分に向けられた親父の笑みだった。
親父は本当のところ、ちょっとはあたしを愛していた?

