思春期小説〜不要家族
不要家族 第一話
問1:○の中を漢字でうめよ
○○家族(ヒント:働いている父親に対して、専業主婦の母親や子供達を指す言葉)
こんなの簡単ジャン。「不要家族」でしょ。誰だって知ってる。
あたしは迷わず○の中を漢字で埋め、素早く二問目の問題に移っていた。
うちのクラスの国語の教師は、こうやって時々、いやらしい抜き打ち漢字テストをやる。たいてい十問で、易し目な漢字だけど、出来ない奴はとことん出来ない。そういう奴らをあぶり出して、生け贄にする為の抜き打ちだ。
きっとオールドミスで欲求不満だから、生徒を苛める事でストレス解消しているんだろう。出来ない生徒の名前をわざわざ発表したりして、本当にいやな女なんだ。
だけどあたしは漢字は苦手じゃないし、自分の名前さえ呼ばれなきゃ、誰がいびられようと関係ないと思っている。誰だってそうだよ。みんな自分さえよけりゃ人の事なんかどうでもいい。
自分が幸せすぎてあまりにも暇だとか、不幸すぎて憂さ晴らししたいとか、そういう時にだけ他人に興味を持つんだ。
あたしは誰にも興味ない。だって幸せでもないし、不幸でもないから。
世の中は、遊園地のアトラクションみたいなものだ。退屈と戦うという目的の、大きくて長いアトラクションだ。
仮にふいに終点まで辿り着いてしまっても、次のアトラクションにもう一回乗るだけ。その時まわりにいるのは、いつも別の、知らない、関係ない、赤の他人ばかり。気にかける価値もない。
あたしは生意気な中学生だった。まわりはみんな子供に見えて、だからって自分が大人の仲間には入れないと知っていて、どこにも所属出来ない中ぶらりんな孤独感は、自分を特別な存在だと思わせるに至った。
勉強だって別にあくせくしなくたって、そこそこには出来たし、真面目すぎてハブにされたり、不良すぎてサツに追い回されたりすることなく、上手い具合にどっちとも一定の距離感でつきあっていた。
ある時は真面目なやつらと、ある時は不良グループとつるみながら、学校の外へ出ればあたしはいつも独りだった。
教師にだって特別に目をつけられる事なく、難無くその他大勢の仲間入りだ。
あたしのこの要領の良さは、天賦のものだと思う。それがあたしに与えられた唯一の才能だ。ずっとそう思っていた。
あたしはさっさと終わらせた漢字テストを前の席の子にまわし、分厚い国語の教科書を開いた。
「春眠暁を覚えず」
うーん、昔の人はいいこと言うね。今まさにそんな感じ。窓際の席はポカポカとあったかい陽が入って、眠りを誘う。
授業中っていかに目立たず、眠っているように見せないかの勝負。
国語が一番嫌いなのは、内容のせいじゃなくて、端々まで目を光らせる陰険女のせいだ。
大人は子供に勉強しろしろって言うけど、そう思うならもっとマシな教師をそろえてくれよって思うのは、公立中学に通う貧乏人には贅沢な要求なんだろうな。
尤もうちの親は、一度だって勉強しろなんて、言いやしないけどね。
あたしの家は、一体全体恵まれているのかいないのか、判断に困るような家だった。
本当は貧乏じゃないんだと思う。
あたしが物心ついた時からずっと住んでいる、広いけど古くてこ汚い家は、八年前に親父のものになった。まず祖母が死んで、それからすぐに祖父が死んだからだ。
祖母は生きている時よく、あたしにこう言ってた。
「お前のお父さんは、子供の頃からそりゃ優秀な子だった。今だって大きな仕事を任されて外国に行ったりなんかしているから、家に帰って来られないんだよ。商社って言えば一流の人間しか採らないんだからね。お前のお父さんは一流の男なんだよ。お母さんの質が悪いから、お前はあまり頭がよくないけど、お父さんに似ていれば天才になってたはずだよ。お母さんの言う事なんか聞いてちゃ、いい子になれないからね。お父さんの言い付けだけ守るんだよ」
あたしは子供過ぎて全然意味がわからなかったけど、そう言われてもお父さんの顔なんか思い出せないくらい、いつもいつも家にいなかった。言い付けを聞けと言われても、いない人の言う事なんか、どうやって聞けって言うんだろうとか思っていた。
祖父母が死ぬまで、母とはあまり喋った事がなかった。頭のおかしい女だから、口を聞くなと言われていて、滅多に顔も合わせなかった。
それでもあたしは、別に母に何の用事もなかったし、お小遣いは祖父がくれたから、全然困ってはいなかった。
けれど小学校に上がって間もなく、祖母は心筋梗塞で倒れた。
あたしはその時の事をよく知らないのだけれど、今思うと、母は長年自分に意地悪をしつづけた祖母が倒れた時、わざと手後れになるように、気付かないふりをしたんじゃないかな。あたしならそうするもの。
頭がおかしいってのは確かにその通りだとあたしも思うけど、だからって何もかもが、あまりに酷い言われようだった。
とにかく祖母が死んで、当たり前だが、母は悲しむどころか大喜びだった。「これでやっとあの人が帰って来るよ」と、一人ではしゃいでいた。あの人っていうのは親父の事だ。
結果的には、親父が家に寄り付かないのは祖母のせいじゃなかったらしく、葬式には戻って来たものの、またすぐにどこかへ行ってしまった。
母は葬式の後、いつにもまして打ちのめされていた。親父が帰って来るという期待を、見事に裏切られたからだと思う。
その頃の母は、あたしから見ても気の毒なほどだった。あたしはなるべく優しくしてあげようと思って、何度も話し掛けたり、子供ながらに気を使っていたけど、母は上の空だった。まるで幽霊みたいだと思ったのを憶えている。
だけど二ヶ月くらして、母はだんだん普通に戻って行った。
そうしたらそうしたで、あたしを捕まえては、祖父が食事を残したとか、朝、なかなか起きて来ないから味噌汁が冷めるとか、くだらない愚痴を言って来て、めんどうだなと思うようになった。
祖母が死んで半年後には、祖父も倒れた。あたしの勘じゃ、これも母の計画通りだったんじゃないかな。どうやったかは知らないけど、身体に悪いものを食べさせるくらい、したかもしれない。それだけで人は死なないから、母は直接の犯罪者じゃないと思う。でも死ぬよう仕向けたに違いないと、あたしは思っている。
よく、妻に先立たれた男性の七割は二年以内に亡くなると言われているが、祖父が死んだのも、直接的にはそういう理由だったんだろう。うさぎだって寂しいと死ぬって言うジャン。男はみんなうさぎと同じなんだと、飼育係だったあたしは、そう思った。
葬式にはまた親父が帰って来た。
祖母の話じゃ、親父は商社マンとかいう仕事をしていて、普通の人よりいっぱいお給料がもらえるらしい。あたしは祖父が倒れてから、誰もくれなくなった小遣いを、親父が代わりに支払ってくれることを期待していた。
通夜の日、あたしは親父に直接小遣いが足りないと訴える為、階段をあがっていた。
夫婦の寝室からは、言い争う声が聴こえて来て、あたしは「今出て行っちゃまずいな」と直感で悟っていた。だから廊下の陰にじっと身を潜めて、口論の行方を見守っていた。
小学一年生のあたしには、会話の意味はほとんど不明だった。だけど、いくつかの言葉は、意味がわからぬまま、鮮明に記憶に刻み付けられた。それが最近になって時々思い出されたりする。
つまり、親父が帰って来ないのは外に女がいるからであって、うちが貧乏なのは、親父が月にきっかり二十万しか寄越さないからなのだった。
ボーナスも何もない。月二十万じゃ年間たったの二百四十万だ。貧乏に決まっている。
それでも祖父母が生きていた時よりは、頻繁に家に戻って来るようになった親父は、ほんの時々小遣いをくれた。それ以外、母からは一銭たりとも貰えず、あたしは友達と遊ぶ金に困って、いつしか遊ばない子になっていた。
親父も母も、あたしのやる事なす事一切に興味はなく、あたしは時間的には自由だった。
友達がおごってくれると言う時は、出かける事もあったけど、朝帰りだって何も言われない。
一番仲良しの智子は、「あんたが羨しい」といつも繰り返した。だけどあたしは、毎月きっちり一万円のお小遣いをもらえる智子の方が、ずっと羨ましかった。
人間ってそんなものだろう。遠目の芝生で、人の事はよく見える。
でももし、立場を取り替えられたとしても、遠くで見ていたときほどには、よくはないのだろうと思う。だからあたしは、いつでも誰かを羨んで溜め息をつくような馬鹿な真似は、やめようと思っていた。あたしはあたしで、困った事もある代わりに、いい事だっていっぱいあるんだから。
祖父が死んで半年くらい経った頃、あたしに弟が出来た。しわくちゃで真っ赤で小さい生き物に、あたしはあまり近寄らせて貰えなかった。
母は、今度こそ親父が家に帰って来ると思って、大喜びだった。
祖母にさんざん「あの女は頭がおかしい」ってすり込まれて来たせいか、マジで気が狂ってんのかと疑うくらい、母はハイテンションで騒ぎまくった。
あたしには、親父がそれをよろこんでいるようには見えなかったけど、母にはそう見えていたらしい。手放しで喜ぶ様子は、不思議に物悲しかった。
母は最初のうち、弟を溺愛していた。けれど、そのうちにだんだん、弟への情熱は冷めて行った。それでも、時々思い出したように、弟を可愛がり出すことがある。まるで、そうしていれば親父が帰って来るとでもいうように、赤ん坊の弟に、親父の話を長々と聴かせては、嬉しそうに微笑むのだった。
弟が出来て、あたしはますます放っておかれるようになった。智子の言うように、それはそれでありがたい事なんだろう。
あたしは赤ん坊に興味はなかったし、母が赤ん坊を育てる間、少しでも人間らしくいてくれれば、幽霊のような不気味な静けさを見せつけられるより、ずっとマシだと思っていた。
ただ一つ、小遣いを貰いたい、ということ以外、あたしは本当に何も不満はなかった。
あれから八年、弟は小学校三年生、あたしは中学二年生。
年が離れ過ぎているせいで、弟とはほとんど交流がない。弟は外へ出てよく遊ぶ子で、あたしは友達の家に入り浸るか、家でだらだらと何時間も日記を書き続けるか、とにかく外へは出ない子だった。
弟が親父を家につなぎ止めてくれるはずだ、という望みを断たれた母は、今ではすっかり弟にも執着をなくしていた。
一日中家に隠っているから、憂さ晴らしする相手はあたししかいないわけで、それはそれで仕方のないことだと思うから、あたしは我慢して母の相手をしてやっている。
母は見た事もない親父の女を悪し様に言う事で、自分を保っていた。
あたしはそれに無条件に同意する。本当はそんな見ず知らずの女の事など、どうでもいいけれど、一緒になって怒っているふりをする。母を励ます。結構いい娘だった。
けれど母にはあたしが見えていなくて、お酒でも飲んでいるのかと思うくらい、いつもいつも目は、うつろだった。
「あの人が出て行ったのは、元はと言えばババアのせいなんだよ」
母は八年経った今も、祖母への恨みを忘れていない。それは時々あたしにとっても、迷惑な事だった。
「あのバアアは大学出てないからってあたしを馬鹿呼ばわりして、結婚前に妊娠するような女は息子の嫁に相応しくないとか言いやがる。妊娠させたのは自分の息子のくせしてさ。あんたさえ出来なけりゃこんな事にはならなかったんだよ。あんたを堕ろせって何度も何度も、ババアにもあの人にも言われたけど、あたしはがんばった。そうやって産んでやったんだから、あたしの為になんか役に立ってよ」
殆ど酔っぱらいのように絡んで来る。
「ねえお母さん、ずっと家にいるより働きにでも出てみれば?」
あたしはうんざりしながらも、年下に諭すように優しくそう言ってやる。けれど母は三十五の女に職なんかないんだと言い張って、捜そうともしなかった。
ちょっとでも働きに出てくれれば、お小遣いをもらえるかもしれないという期待を、あたしはすぐに諦めた。
母は年よりずっと老けていた。三十五と言えば国語の陰険女と同じ年だが、そうは見えなかった。母はどこからどう見ても五十過ぎに見える。たぶん白髪のせいだろう。
とにかく、三十五の女はあたしには鬼門だ。
母を思い出してから、ふと陰険バアアの顔を見れば、全然若くも見える。
居眠り危険度ダントツ一位の国語の授業は、もうすぐ無事に終わろうとしていた。
次の日もまた、相変わらずのいいお天気で、校門のところの桜は散っていたけれど、春だなあという空気がひしひしと感じられた。
例によって国語の授業は、給食直後の一番辛い五限だった。
昨日の漢字テストを返しながら、教師は神経質そうに何度も眼鏡をいじっていた。そして、返す答案が残り数枚になった時、
「これから名前を呼ぶ人は、授業が終わってから前に出て来なさい」
と言った。
あたしは戸惑っていた。ほとんどの人がテストを返されていたのに、あたしはまだだった。
「これから名前を呼ぶ人」、つまり出来の悪い生徒の中に、あたしが入っているはずはない。テストは出来た。
けれど陰険女は眼鏡を光らせながら、真っ先にあたしを呼んだ。
「五十嵐久美」
目があった。
勝ち誇ったように睨み付けられ、身に覚えのない理不尽さを感じたけど、学校の中ではどんなやつでも、教師の方が強い。言う通りにする以外、あたしは何も出来る事はなかった。
今までは、確かにテストが出来ない子が名前を呼ばれていた。七問以上出来ていれば、何も言われずにすむのではなかったのか。
四つ以上間違ったとすると、一体どれだろう? 跳ねていなかった? 止めていなかった?
そういう細かいところを突きそうな女だった。
あたしは昨日の漢字十問を思い出しながら、目だけは黒板を睨み付けていた。
不要家族、以心伝心、国際社会、寝耳に水、営業車両、推薦入学、降水確率、反対尋問、編集手記、建築現場……。
全部合っているよな。っていうか、この中で難しいのって、せいぜい推薦入学と、反対尋問くらいで、あとは小学生でも書けるんじゃないかあ。こんなので四問、間違いようがない。
あたしの耳に教師の声は素通りして、頭の中では、どの漢字が違っていたのかについて、悶々と考え続けた。
そうしているうちに、授業は終わる。考え事をしている時の時間って、本当に早いから不思議だ。
チャイムが鳴ると同時に、あたしは立ち上がっていた。陰険女がギロリと睨んだが、知ったこっちゃない。どの漢字が違っていたのか、さっきから気になって気になってしょうがないんだから。
あたしは黙って教壇のところまで歩いて行ったが、陰険女はわざとゆっくり黒板を消したりして、あたしをイライラさせた。
「先生」
あたしは痺れをきらして声をかけたけど、さすが陰険ババア。無視しやがった。
あたしもカチンと来て、黙って教卓の上にある自分の答案を漁りだした。すると女教師は、やっと振りかえって眉をしかめた。
「泥棒みたいな真似はおよしなさい」
自分の答案取って何が泥棒だよ、と思ったけど、あたしは一応手を止めた。
「あなた、テストを何だと思ってるの? あなたは今まで結構よく出来る子だったけど、授業態度が悪ければ内申点はあげられないわよ」
何を言われているのかわからずポケーっとしていると、教師は出席簿を開いてあたしの答案を抜いた。あんなところに入っていたら、見つかるはずないなと、どうでもいいことを考えつつ、次の言葉を待った。そうでもしなければ、全く意味不明だ。
教師は溜め息をついて、あたしに答案を返した。
一つしか間違えていない。
不要家族。
一つしか間違えてないのに、何で呼び出されたのかという疑問より、不要ってこういう字じゃなかったっけという疑問の方が、より大きく心をしめた。
「こういう悪ふざけされるのが、私は一番嫌いなのよ」
教師は眉間に皺を寄せる。
「これ、違うんですか? だって父親にとって母親と子供は不要な家族でしょ」
あたしは真面目に質問したつもりだった。けれど陰険女はまだ私がふざけているか、もしくは反抗的になっていると思っていた。
「あなたの考えなんか聞いちゃいないのよ。私の授業で今後こういうふて腐れた態度を取ったら、どんなに点がよくても内申点は三だと思いなさい」
あたしは黙っていた。
ふて腐れた態度って何だよって言いたかったが、それが反抗的だと揚げ足を取られそうだったので、やめた。
「家庭に問題があるなら、担任にでも相談なさい。私は担任じゃないんだから、こういう子供っぽいメッセージに、いちいち反応していられないわ」
何と返事をしても、反抗的だと言われそうで、あたしは黙って俯いていた。
「あなたが出来る子だと思うから言ってるのよ。こんな悪ふざけをしても、何も変わらないのよ。家族に不満があるなら家族に言いなさい。私に厭味をぶつけてもしょうがないでしょう。それくらいわかるでしょ」
「はい」
あたしは辛うじて返事をした。そうしないといつまで説教が続くか、わからなかったからだ。
それからすぐに辞書を引いて、正しい漢字を調べた。
「扶養」たすけ養うこと。生活の面倒をみること。
ああそういう意味か。
普通父親は、母親と子供を、たすけ養って、生活の面倒をみるんだ。うちの親父だって一応毎月二十万母の口座に振り込んでいる。それは生活の面倒をみていることだ。
父親にとって妻と子供は、間違えて拾ってしまったいらない家族だから、それで不要家族って言葉があるんだと、今までずっと信じていた。
「お前は間違えて生まれてきた」
祖母はよくそう言っていた。
親父は母と結婚するつもりがなかった。でも間違えてあたしが出来ちゃったから、仕方なく「責任を取った」のだと聞いていた。
堕ろせと言うのに母が言う事を聞かず、子供を盾にして結婚を迫ったのだそうだ。
幼稚園や小学生の時にそんな事を言われても、意味がわかるはずもない。
堕ろすっていうのが、あたしを殺すという事だと知ったのは、本当につい最近だ。
あたしは祖母に言われ続けて来た言葉の意味を、最近になってやっと理解し始めたばかりだった。
そして、イヤだったけど責任を取る為に無理矢理結婚したり、いらない子供が生まれたりするから、「不要家族」って言葉があるんだと、心の底から信じていた。一度も、おかしいと思わなかったのだった。
あたしはこの時「責任を取る」という言葉の意味を知った。「責任を取る」ことは「扶養する」ことだったんだ。

