恋愛小説〜らぶちゃんぽん

恋愛ミステリーです。

第四話「動機」

 藤沢真貴の日記はここで終わっていた。次の日の日記を書けなかったのだ。なぜなら彼女はその夜、死んでしまったのだから。

 それまで真貴は仕送りを貰うと、その日のうちに必ず実家に電話していた。

 二十九日午前、仕送りは完了していたが、通帳記入はされていなかった。家賃も支払っていなければ、金を引き出してもいない。

 二十九日午後、日記の通りだとすれば玲二が現われた。カップの用意は二つだったから女は応じなかったと言う事か? それとも最初から女が来るというのは嘘だったか。

 とにかく夕方六時前後に真貴は死んだ。死亡推定時刻と日記の内容はピタリと来る。

 三十日、電話がないので心配した親が真貴に電話をかけたが、真貴は留守だった。

 三十日から十二月一日にかけて、夜遅くから朝まで何度も電話をかけたが真貴は出ない。娘を案じた母親は、大家に電話をかけた。大家は家賃がまだ振り込まれていないと応えた。母親は大家に、真貴の部屋の様子を見て来てくれと頼んだ。そして、大家が真貴の死体を発見。我々が駆け付けた。

 犯人は真貴の男、玲二。あまりにも明白だ。しかし明白すぎて何か引っ掛かる。

「おい、誰か」

 松本はその場を離れる事なく、大声を出した。捜査一課は隣の隣、誰かが松本の声に気付くだろう。

「おい、誰か来てくれ」

 二度目にドアから頭を出して大声を出すと、一課から女性職員が顔を覗かせた。

「やあ、君でいい。パソコンをいじれるか?」

「あ、はい」

「ちょっとこっちに来てくれ」

 訝し気に証拠品室に入って来た女子職員に、ぎこちない手付きで、玲二の写真をプリントするよう説明する。

 その後、パソコンの電源を落とし、鍵のかかる証拠品室に納めるよう、厳重に言い渡した。一課に戻ると、もう一人の女子職員に証拠品室を手伝うように言い付けた。その場を離れる時は、誰か一人残るよう厳重に言い渡し、自分の席に戻ると、鑑識の報告書が来ていた。

 手付かずのカップからは薬物等は出て来なかったし、ポットの内容物とも完全に一致していた。こぼれたカップの内容物には、予想通り青酸カリが混入していた。かき混ぜたと思われるスプーンにも、青酸カリが残っていたが、手付かずの方のスプーンには青酸反応は出なかった。

 その他流し台やクズ入れ、洗面台、風呂場、どの場所からも青酸反応はなく、カップとスプーンのみについていた。おそらく何かの容器からカップに青酸を入れ、すぐに犯人が持ち去ったのだろう。部屋から青酸の容器は発見されなかったし、被害者の衣服、たとえばポケットなどからも、青酸反応は出なかった。

 被害者を死にいたらしめたものがその場にない以上、他殺と考えるべきだろう。そして最重要人物は「玲二」だった。だが玲二が本名かどうかも、名字も、住んでいる場所も、何もわかっていない。

 また、Web日記を始める時、「今日からWebで」と言っているのに、昨日までの日記帳はどこにも見つかっていない。犯人が持ち去って処分した可能性もある。

 湯川が玲二の正体を探るべく、聞き込みをしているはずだ。あの男は礼儀はなっていないが、抜け目ないところがある。そちらはまかせてもいいだろう。二人が毎週行っていたちゃんぽん屋も見つけだすだろうし、カップやスプーンの購入先さえ探し出すかもしれない。「あの女」にも事情を聞かねばなるまい。共犯かもしれないだ。

 そして何よりも青酸の入手先。

 調べなければならない事はたくさんあった。

 根気良く聞き込み調査をしたが、当日何者かが真貴のマンションにやって来たという目撃証言は現れなかった。また、真貴の大学関係で、玲二を知っている人間もいなかった。

 バイトの回転寿司の店員は、彼氏にあげるからといって、余った寿司をたくさん持って帰っていたと証言したが、彼氏の詳細については聞いていなかったし、もちろん見た事もなかった。

 最重要な証拠物品の入手先は案外簡単にわかった。

 その秘密は、真貴のノートパソコンの中に隠されていた。つまり、真貴を殺した青酸カリは、真貴自身がインターネットで購入したものだったのである。その秘密を探り出したのは、湯川だった。

 十一月二十五日、日曜日、真貴はネットで青酸カリを注文している。宅配便の記録により、それが二十七日水曜日に届いた事が確認された。日記の文章と考えあわせるに、金のない玲二は、真貴に青酸カリの入手をねだり、真貴は誕生日にこれを与えた、という事だろうか。

 しかし、日記だけを証拠には出来ない。

 自殺の線も捨て切れないという意見もあった。

 だが、真貴の部屋には青酸反応は全く出ていないし、肝心の青酸カリの入った容器も見つからなかった。

 生年月日と住んでいる場所から「玲二」はすぐに見つかった。そして「あの女の人」も。だが彼等をしょっぴくには、証拠が必要だった。

 張り込んでいた湯川は、二人が昼食の為に入った長崎ちゃんぽんの店で、彼等の掴んだグラスを入手し、指紋を取った。被害者宅のスプーンから出た指紋と、玲二の指紋は一致し、すぐに逮捕状が出された。

 男は日記にあった写真と同じ人物であるとずぐに断定出来たが、女の方は確証はなかった。だが、一週間張り込んで、玲二が他の女と一切接触を持たなかったので、その女を需要参考人として呼び出す事にした。

 浅井順子、玲二のバンドのメンバーで、誰もが二人はつきあっていると証言した。そして誰もが藤沢真貴を知らなかった。口裏を合わせているとは思えない、本当に知らないといった感がある。だが順子の発言だけは鵜呑みに出来ない。玲二を庇っているとも思われるし、共犯の可能性も否めないからだ。

 順子は真貴を見た事もない、知らない顔だと証言した。もちろん電話をかけたことなど、一度もないという。

 玲二とは去年、順子がバンドに入った時からのつきあいである。お互い貧しいのでたまに行くちゃんぽん屋は二人の楽しみだった。週末、よくあの店に行ったが、それ以外はほとんど玲二の部屋で過ごしていた。

 事件があった日の夕方、前日の玲二の誕生日を祝う為、玲二の部屋に二人でいた。したがって二人とも、アリバイはないのと同じだった。前日、メンバー全員で盛り上がったから、その日は二人きりでゆっくりした。日曜日に、チャンポン屋でそうしようと決めたというが、その日の裏は取れなかった。なにしろちゃんぽん屋は忙しくて、客の会話等聞いていられないし、いちいち顔も覚えていられない。

「お前が殺ったんだろ? 正直に言った方がすっきりするぞ」

「はん、知らないね。何を根拠にそんな馬鹿げた事を言うんだ? 俺はそんな女は知らない。見た事も聞いた事もないね。人違いだよ。とっととこっから出せよ、名誉毀損で訴えるぞ」

 逮捕された若い男が余裕の笑みを見せると、若い刑事は形ばかり凄んでみせた。おそらくテレビドラマで見ているのだろう。彼は今日が初めての取り調べである。憧れていたテレビドラマを再現すべく、ドンと机を叩いた。

「んだと!?」

「おい、乱暴な口をきくのは止めろ」

 中年の刑事がたしなめる。今時は用心に用心を重ねておかないと、本当にこっちのクビが危ないって事を、若い刑事に教えてやらねばならない。

 中年刑事は証拠品の入ったビニール袋をさり気なく机の上に置いて、優し気に目を細めた。

「なあ加藤、お前が知らないと言うのは勝手だ。だがどんなに知らないと言い張ったところで、無駄だよ。お前はこんなにたくさんの証拠を残しているんだ」

「証拠だと? 何の事だよ? 知らねー女が死んで何で俺が疑わなきゃなんないんだ!」

 中年刑事が、机に並べた証拠品を端から一つ一つ説明しようと、一番右のビニール袋に手をのばした。

「まずこれな、青酸カリだ。知ってるだろ?」

「それがどうしたよ、俺には関係ないね」

「ところが大ありだ。これ、お前のアパートから出て来たんだぜ? 被害者は青酸カリで死んでいるんだ。立派な証拠だ」

「なっ! んな訳ねえ、俺は知らねえ。誰かが置いたんだ。罠だ。俺じゃねえ」

 途端に加藤はうろたえだした。

「まだあるぞ」

「嘘だ! そんなデタラメ聞かねえぞ! みんなデタラメだ」

 がたんと椅子を倒して勢いよく立ち上がった加藤を、若い刑事が後ろから掴んで、再び椅子に座らせた。

「離せ! 俺を帰してくれ。何かの間違いだ。そうだよ、間違いだ。俺は本当にそんな女知らねえんだ。信じてくれよ」

「まあ、落ち着けよ」

 中年刑事は二つめの証拠品袋に手をのばした。

「このパーカー、お前の物だな?」

「そんな事、覚えてねえ。そんなの似たようなのがいっぱいあるじゃねえか。何で俺のだと決めつけるんだよ」

「お前の部屋にあったからだ」

「知らねえ、誰かが忘れてったかもしれねえじゃねえか」

 加藤は身構えていた。これ以上ぬれぎぬを着せられてたまるものか、そう思って中年刑事を睨み付けていた。

「まあいい、とにかくだな、お前に家にあったパーカーのポケットから、青酸反応があった」

「な、何だよそれ」

「つまりだな、このパーカーを着た人物は、ポケットに青酸カリの入った瓶を入れたってことだよ」

「そ、そんな事知らねえ、俺じゃねえ、本当だよ、俺は知らないんだ」

 加藤は涙声で頭を抱えた。

「三つ目」

「まだあんのかよ。誰が俺を罠にかけたんだ、ちくしょう!」

「このスプーン、見覚えあるな?」

「知らねえ、スプーンなんかみんな同じに見えるじゃねえか、何で知ってるとか言うんだよ」

「このスプーンは被害者の家にあったものだ。お前の指紋がついている」

「嘘だ!!」

 もう一度立ち上がった加藤の肩を、若い刑事が思いきり押し下げた。

「残念な事に本当だ」

「嘘だ……嘘だ、嘘だ! 有り得ねえ、そんな女の家に行った事もないのに。だいたい家がどこかも知らねえんだ、その前に名前も知らねえよ。会った事もないんだ」

「他にもあるが、まあいいだろう。あとはお前の口から聞くとしよう。さあ加藤、これだけ証拠が揃っているんだ。少しづつでいい。白状するんだな」

 中年刑事は証拠品袋をかき集め、慎重に持ち上げた。

「あと、頼んだぞ」

「わっかりました!」

 若い新米刑事が元気良く応える傍らで、加藤玲二はぶつくさと口の中で無罪を訴え続けた。

 嬉しそうに玲二を尋問する湯川を見て、松本は溜め息をついた。やはりあいつは一度教育しなおす必要がある、松本はそう思った。

 それにしてもこれだけの証拠品が出て来て尚、松本はすっきりしなかった。

 加藤玲二は嘘を言っているようには見えない。勘だけで判断する訳にはいかないが、これが仕組まれた罠だとしてもおかしくない、と思えた。だが誰が何の為に加藤玲二を罠にかける必要があったのか。

(まあいい、やつが犯人かどうかなんて俺達には関係ない。俺達はただ、犯人を挙げればそれでいいんだ、迷宮入りにされしなければ面目は立つんだから)

 松本は取調室を後にした。

 加藤玲二と浅井順子、二人の指紋が取れたのがちゃんぽん屋であったのも、偶然ではないだろう。

 二人が出て行くと、湯川はそこにいた店員全員に、あの二人を知っているかどうか尋ね、更に真貴の写真を見せた。

「うーん、見た事あるような気もするけど、お客さん多いしね。毎日来ていたってわけじゃないんでしょう? だったら覚えてないよね」

 そんな事を言い合って顔を見合わせる店員に、湯川は肩を落とした。

「何か思い出したら」

 そう言って電話番号を書いたメモを渡す。不用意に名刺を渡すと何に利用されるかわからないから気をつけろと、松本に言われていた。だが、警察に協力したがる人間は少ない。出来るだけかかわりを持たないようにするのが普通だろう。情報を期待はしなかった。

「そうだ、思い出した!」

 湯川が去った後、一人の女性店員が手をポンと合わせた。

「何?」

「あの写真の三人、どこかで見た事あると思ったけど、先月の中ごろさ、ココに来た事あるよ」

「よく覚えてるね」

「だってさ、あの三人一緒に入ってきて、さっきの二人が同じテーブルに向かい合わせに座ってね、もう一人の地味な感じの目立たなそうな子が隣のテーブルに、女の子の隣に座ったのね、注文聞きに行った時さ、てっきり連れだと思ってたら、あの二人だけ注文言って、地味な子が何も言わないでそっぽ向いているんだわ、ああ、連れじゃなかったのかてびっくりしてさ」

「へえ」

「その後その子にも続けて注文聞いたんだけどさ。出て行く時も全く同時に出て行ったから何だろうって気持ち悪かったんだ」

「それ、さっきの人に電話する?」

「え〜? いいよ、別にたいしたことじゃないでしょ」

「だよね」

「私、ホントに連れじゃないのかどうか、店にいる間中チェックしてたんだけど、二人づれの方は全然彼女を気に止めてなくて、目立たない子は男の顔をちらちら見てた気がする」

「ふーん、なんか不気味な女」

「そうなんだよ、不気味って感じ」

「ストーカー?」

「かもね」

 その後何度か、湯川は思い出した事がないかどうか聞き込みに来た。だが、バイト店員の入れ代わりは激しい。

 その会話は永久に湯川の耳には届かなかった。

 十一月二十八日木曜日、加藤玲二のアパートには一人の目立たない女がいた。その日は玲二の誕生日、玲二はバンド仲間と大騒ぎをしている最中であった。

 女は合鍵を持っていた。だがそれは勝手につくったものだった。

 玲二はいつも郵便受けの裏がわに、磁石でキーケースを張り付けていた。そこから借りて合鍵をつくったのだ。しかし女はその鍵を、玲二に貰ったと思い込んでいた。思い込みの激しい女だった。

 女は手袋をはめた手に、白いティカップを持っていた。

 散らかったアパートの中央に出ているこたつの上に、カップを置く。そうしてからコートのポケットを探り、小さな瓶を取り出した。

 開封し、瓶の蓋をあける手は、しっかりしていた。

 台所から、スプーンを二本持って来る。スプーンは大きすぎて瓶の口に入らない。仕方なく、女はスプーンを自分のバックにしまった。

 見回すと、プリンかゼリーを食べる為のプラスチックの小さなスプーンが、手の届くところに転がっていた。ゴミで散乱した部屋の中に使い終わったスプーンが転がっていても、不思議ではない。

 女はそれを手にし、小さな瓶からほんの少量の白い粉を、カップに入れた。そのスプーンは、ティッシュにくるんで、くずかごに捨てた。それから瓶の蓋をして、押し入れの奥に突っ込んであった紺色のパーカーのポケットに、瓶を忍ばせた。

 手に触るものがある。ポケットには先客がいた。そっと取り出すと、それはちゃんぽん屋さんのレシートで、ちゃんぽん一つ八百十九円、十月二十八日の日付けだった。そのパーカーは、秋口に玲二が毎日着ていたもので、寒くなった今、手を触れられる事もなかったのだろう。

 女は無意識にレシートを自分のバックへ入れ、瓶もパーカーから取り出した。くるりと部屋を見渡す。たんすが目に入った。にっこり笑って、瓶をたんすの一番上の引き出しに入れる。それから満足げにティカップを持って、女は玲二のアパートに鍵をかけた。

 外はもう暗くなっていた。アパートのゴミ捨て場は、何曜日だろうと何時だろうとゴミでいっぱいだった。女はゴミ捨て場の影でコートを脱ぎ、手袋をはずした。それを用意して来たゴミ袋につめると、山積みになったゴミの上にポンと捨てた。

 寒かった。

 だが、気にならない。

 女はティカップを隠すように持って、家までの道を歩いた。冷たい風にぶるっと身をふるわせる。喜びが込み上げた。

 準備は出来た。玲二は誕生日プレゼントを喜んでくれるはずだ。そして、永遠に玲二は自分だけのものになる。

 家に帰りつくと、うきうきした気持ちでテーブルに二つのティカップをセットした。あと二十時間経てば、玲二は自分だけのものになる。苦しみから解放されるのだった。

 玲二はいつも優しかった。影からそっと玲二を見つめる女に、惜しみなく笑顔を見せてくれた。でもふと我にかえると、玲二の隣には知らない女がいた。派手な化粧をしたガサツな女だ。女は首を横に振って、現実を否定した。

 明日、玲二にとって自分は生涯忘れられない女になる。それが嬉しくて、浮かれていた。女は最後の日記を仕上げた。

 女は本当に目立たなかった。どこにいても忘れられる顔だちだった。玲二のアパートへ行った事も、ゴミを捨てた事も、誰にも見られていなかった。

 真実はいつも闇の中。

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