恋愛小説〜らぶちゃんぽん

恋愛ミステリーです。

第一話「死因」

 十二月一日、午前十一時三十四分。

 被害者はダイニングの椅子から落ちたような姿勢で、横向きに倒れていた。両眼瞼結膜に溢血点が多数認められ、鑑識の結果を待たずとも、青酸化合物による急死が予想される。

 松本功二はベテランの勘を働かせ、素早く部屋の中を点検した。

 テーブルには真っ白いティセットが二つと、揃いのポットが一つ。ソーサーには、何の変哲もない飾り気のないスプーンが添えてある。片方には紅茶と思われる飲料が手付かず残っていて、もう片方、被害者の飲んだと思われるカップは、床に落ちて割れていた。被害者側のテーブルには、ソーサーとスプーンだけが置いてあった。

 来客者が誰であれ、ティカップには手をつけていないし、仮に席についていたとしても、座っていないかのように椅子は戻してある。痕跡を消す為ならば、何故カップも始末しなかったのか? 動転して逃げ出したのなら、何故わざわざ椅子を元の位置に戻したのか?

 部屋の鍵は空いていた。部屋に乱れはなく、来客者は親しい間柄と考えられる。順当に考えれば、来客者による殺害だとほぼ断定出来る状況だ。だが、自殺の線もまだ捨て切れない。

 持ち物をしきりに調べていた新米の湯川貴之が、被害者の氏名を告げに来た。

「藤沢真貴、十九歳、大妻女子大学短期大学部英文科一年、ですね」

「御両親には気の毒な事だな」

 松本は自分の娘を思って、胸を痛めた。今年大学三年になる娘の祐子が、こんな殺され方をしたらと思うとゾッとする。だからどうしても、男関係には口うるさくもなってしまう。殺人事件の大半は、痴情のもつれと相場が決まっているからだ。そうでなければ金だ。

「実家に連絡するのはお前がやれ」

 松本は嫌な役割を新米に押し付けた。

「男関係は徹底的に洗えよ」

「わっかりました」

 湯川は緊張感のない軽い返事をして、仕事に戻った。

 一Kの部屋の中はガランとしていた。年頃の女の子にしては洋服もバックも少なく、持ち物は必要最小限だった。綺麗に片付けられた机の上には、オレンジで縁取りされた、白くて大きい弁当箱のようなものが置いてあるだけだ。近付いてみると、オレンジ色のリンゴの模様がついている。

「おい、何だこりゃ」

「タンジェリンのiBookの事ですか?」

「はぁ?」

 背後から応えたのは、湯川だった。他の作業員は黙々と指紋を採っていた。近付いて来た湯川を松本は思いきり睨み付けた。

「わかる言葉で説明しろや」

「ノートパソコンですよ」

「これがPCか?」

 松本の頭の中では、パソコンの専門用語はPCだった。さも知っているふりをして使ってみたに過ぎない。が、すぐに切り返された。

「っていうか、マッキントッシュです。おしゃれだから若い女の子に人気なんですよ」

「マッキントッシュ?」

「パソコンの種類です」

 それだけ言うと、湯川はさっさとその場を離れて行った。

 PCとマッキントッシュと何が違うのか、松本にはよくわからなかったが、とにかくパソコンには違いないのだろう。

「ふーん、これがパソコンねえ」

 松本はパソコンを触れない。何をどうやっていじるのかわからなかった。でもきっとこの中には、犯人を示すような何かが隠されているに違いない。

「おい、これも」

 松本は横柄に、誰にともなく大声をあげた。

「証拠品として押収しろ。中身を徹底的に調べるんだ」

「はい」

 誰かが即座に応えた。そんなわかりきった事を偉そうに命令されても、誰も言い返さなかった。年配者はたてるものだ。特に警察という縦の厳しい環境では、そうしなければやっていけない。

 捜査一課のデスクに座り、松本はしきりに頭を働かせていた。外回りをするよりその方が、よい考えが閃くからだ。

 部屋の中すべてに渡って調べたが、被害者の指紋以外、出て来なかった。ただ一つの物を除いて。だが、それに他人の指紋がついている事は、あまりにも不自然だった。

 指紋は二種類ついていた。被害者のものとそれ以外のものが一つ。前科のない指紋だった。

 それが来客者のものだと仮定する。すると彼は、元に戻した椅子も、玄関の扉のノブも触らずに、もしくは触ったとしても拭き取って、それでいてスプーンにだけは指紋を残したのか?

 松本にはもう一つ気になる事があった。

 真っ白くお洒落なティカップ、お洒落なノートパソコン、すっきりとしたシンプルな室内、それらと噛み合わない、大きめのごく普通のスプーン。何かスプーンに違和感があった。あとで女性職員に聞いてみたが、紅茶をかき回す時のティスプーンは、もっと小さいものなのだそうだ。

 違和感を持ったスプーンにのみついた、加害者候補の指紋。

 何かひっかかるものを感じた。

「松さん、ちょっと」

 考え事をしている時の松本に話し掛けるのは、勇気がいる。だが、新米の湯川はまだそれを知らない。そして松本の顔色を覗くだけの配慮もなかった。

 せっかく何かわかりかけたような気がした時に、考えを中断され、松本は苦虫を噛み潰したような渋顔をのっそりとあげた。だが、湯川は気にしない。

「ちょっとこっち、見て下さいよ」

「何だ、男関係は洗ったのか?」

「まずは情報ですよ。とにかくこっち来て下さい」

 この礼儀を知らない新米に、いつか物事のいろはを教えてやらねばならないと考えながら、松本は重い腰をあげた。ともかく今は、そんな暇はない。

 湯川の後について捜査一課を出る。同じ階にある証拠品保管室に続く調査部屋は、扉が開けっ放しになっており、大切な証拠品である藤沢真貴のノートパソコンの電源が入っていた。

「なっ! お前、証拠品をなんだと思っていやがる」

「へ?」

「へ? じゃねえ! ドア開けっ放しで放っぽりだして、誰かが情報書き換えたらどうするんだ!?」

「へえ〜」

 湯川は感心したように頷いた。

「へえ〜じゃねえだろう、この馬鹿!」

「松さんパソコンの事なんか何もわからないと思ってたのに、情報書き換えるなんてよく思い付きましたね」

 湯川は心底感心しているようだったが、自分の犯したミスについては少しも反省していない。

「話題を摺り替えるな!」

「大丈夫っすよ、ほんの数秒でデータなんか書き換えられないですって」

「阿呆! そういう問題じゃないんだ! だいたいだな、お前は……」

「まあまあまあまあ、落ち着いて。とにかくこれ見て下さいよ」

 湯川のペースに鬼の松本も調子が狂い、説教を止めざるを得なかった。

 ノートパソコンの画面を見る。何やら文字がたくさん書いてある。

「どうやら彼女、ネットスケープをメインブラウザにしていたようなんです。ブックマークを順番に調べてたんですが」

「おい、ちょっと待て。何を言われているかさっぱりわからん」

 ふぅっと肩をすくめて、これだから年寄りはといった表情を見せた湯川に、松本は一瞬ムカッとしたが、ここで意地を張って知らないままにするのはもっと悔しい。こうなったらとことん聞いてやると開き直った。

「つまりインターネットに繋いだ時にですね、あ、インターネット、わかります?」

「馬鹿にするな、それくらい知っている」

 どこまでも礼儀を知らないこの若造に、いつかきついお灸を吸えてやるつもりだが、今はとりあえず我慢だ。

「ネットに繋いでホームページを閲覧する時に使うアプリケーションが、ブラウザってんですけど」

「待て、アプリ……なんだって?」

「ソフトですよ、ソフト。パソコン上で動くプログラム。もうやだなあ、松さんホントに何も知らないんだから」

 言い返したい気持ちをぐっと堪え、一つ咳払いをする。

「わかった。で?」

「でぇ、ブラウザってのはネットする時に使うソフトで、インターネットエクスプローラーとネットスケープの二種類が一番多く使われてて、彼女はネットスケープ派だったんですよ」

「それが何か重要なのか?」

「いや、だから本題はこっから先ですってば。松さんが聞くから説明してあげたんじゃないですか」

 腕組みをして仏頂面の松本の表情などお構いなしに、湯川はまくしたてた。

「で、ブックマークって言ってですね、よく見るページをすぐ呼び出せるようになってるんですよ。そこを一つ一つ調べてたんですけど、面白いもんが見つかったんで、お知らせしたんです。ホントは、エクスプローラー使っててくれたら、過去の履歴も調べられたんだけど、ネスケは履歴、残んないからさ」

 松本はもはや聞いていなかった。画面に列ねられた小さい文字を読む為、かがみ込む。

「あ、どうぞ」

 湯川が椅子をひいたので、どっかと座った。

「Web日記って流行ってるんですけど、これ、被害者の日記ですよ」

「何故わかる」

「クッキーが残ってて、彼女のハンドルが片仮名の「マキ」だってわかったんです。それ、マキの恋愛日記ってタイトルになってるでしょ」

「クッキー? ハンドル?」

「ハンドルってのは、ネット上で使う呼び名みたいなもので、クッキーは、掲示板か何かに一回書き込みすると、その情報が保存される事を言うんですよ。どのページにも「マキ」が保存されてました。もちメアドも確認済みっすよ」

「ふーん、まあいい。だがそれだけでは証拠にならん。犯行後に犯人が書き換えた可能性もあるからな」

「疑い深いなあ」

「馬鹿もん! 疑うのが仕事だ!」

「おっと、んじゃ松さんそれ読んでて下さいよ、俺は聞き込み行って来ます」

 湯川はうるさい事を言われる前に、さっさと逃げ出す構えを見せた。

「待て、読み終わったらどうすんだ!?」

「ココの上で指をくるくるするとポインタが動くでしょ。ここの三角に持って来てこれを押すと、スクロールして下の方読めますよ。全部読んだら次へってボタンの上にポインタ合わせて、ここをクリック。クリックってわかりますよね? カチッと押してすぐ離すんですよ」

「それくらいわかってる」

「わからなくなったら誰か女の子捕まえてやってもらって下さい。じゃ」

 疾風のように去って行った。落ち着きのない男だ。

 だが一人の方がゆっくりと日記に没頭出来る。この中に、きっと手がかりが隠されているはずだった。

第二話「死者の日記〜前編」 このページのトップへ
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