恋愛小説〜マグダラの万里亜

第十五話「十三周忌」

 法要はこれで四回目である。いつも同じ寺で会場を確保して、同じお坊さんにお経を唱えてもらい、同じ料理屋でふるまいをする。

 一周忌の時は戸惑ったが、三周忌、七周忌と回を重ねるごとに、親戚たちの無神経にもすっかり慣れた。

 親戚の中には、あからさまに万里亜を悪く言う者もあった。財産目当てだと、聴こえるように陰口をたたかれ、蔑まれた。どんな財産があるのかも知らないというのに。

 二年前、透は御徒町支店の支店長になっていた。

 それまでに何度か転勤があり、酷い時には通勤に片道三時間かかったが、万里亜が一緒に暮らすようになってからは、通えないほどの地方には行かされなかった。

 普通支店長まで出世する人間は、若い時に全国あちこち飛ばされるものだ。透も二十代の時には、二〜三年ごとに単身で支店を移ったという。

 銀行の支店長は高給だった。財産目当てと言われるのは、その為だろうか。  法要の際、親戚たちをもてなしたり、会場を手配したり、僧侶に心付けを用意したりするのは、万里亜の役目だった。強制された訳ではないが、進んでやった。透は透で、久しぶりの親戚に捕まって、話し相手をしなければならなかった。

 聡子の様子が変だというのは、すぐに知れ渡った。色々陰口もあったが、世話焼きの女性達が目を離さないでいてくれるので、それはそれで助かった。

 お互いゆっくり話をする間もなく、透と万里亜はそれぞれの義務をこなした。恵里子を偲ぶ余裕など、全くなかった。

 ビールが足りないと文句を言う男性、前回の料理と比べて質が落ちたなどと難癖をつける女性。万里亜は未だに、誰が誰だかわからない。興味もなかった。

 頭を下げてお酌してまわり、お礼を言って手みやげを配り、借り切った運転手付マイクロバスに乗せて、順番に駅まで連れて行く。先に帰りたいと言い出す人や、なかなか帰らないでずっと酒を手放さない人、全員に気を配りながら、飲み物を追加注文したり、年配者の機嫌をとったりしなければならない。そして誰かが帰ると言う度に、透と万里亜は一旦外へ出て、バスの前で深々とお辞儀をしなければならなかった。

 本当は家族だけで、静かに恵里子を思い出してやりたかった。その気持ちは、口に出さずともお互いに伝わった。けれどそんな事をすれば、法要に呼ばれなかったと言って、親戚の間でもめ事が起こるのは、目に見えていた。

 どんなに完璧な家族にも、厄介な親戚はいるものなのだ。そしてそうした付き合いは、好まずとも避けられないのだった。

 三時になり、まだ残って酒を煽っているのは、聡子の姉夫婦と伯父夫婦、それに伯父の息子だけになった。

 お開きの挨拶をしたにも関わらず、彼等は立ち上がろうとしない。久しぶりに会った親類と友好を深めているのだ。これからもう一度墓参りをしたいからと、遠回しに帰宅を促すが、わかっていて無視しているのか、本当に気が利かないのか、世間話に花を咲かせている。

 やっと彼等の重い腰をあげさせ、半ば強引に料亭の駐車場まで見送った後、透は疲れ切った表情で、肩で溜め息をついた。

「お疲れさま」

 もっと気の利いたいたわりの言葉を言ってあげたかったが、いつも何も思い付かない。

「ああ、疲れたね。万里亜がいてくれて本当に助かるよ」

「今から三人で本当の法要だね」

「そうだな、お墓に行ってゆっくり恵里子と話をしよう」

「早く戻らないと、聡子さん一人だよ」

「ああ」

 形骸化した法要なんて、意味はないと毎回思うけれど、透には何も言わなかった。

 幼い頃、あんなに大きいと思った透は、今では万里亜と頭一つ分しか違わない。あんなに頼もしく見えた背中も、今は小さくなった。時折、頼りなげに思えることすらある。そう思う時、自分の受けた恩恵の百分の一でもいいから、返す方法があればよいのにと考える。

 透の疲れを癒してやりたい。痛烈にそう思い、模索する。

 だがそれは万里亜の役目ではなかった。

 祈りに似た諦めが、倦怠感となって押し寄せる。

 恵里子が消えてしまったことで、透や聡子が受けた打撃は量りしれない。それなのに万里亜は、他人の不幸の上にのうのうと居座って、透という安心感や満足感を得ていた。

 罪深い心を打ち砕く罰は、いつやってくるのだろう。

 もう少し、あともう少しでいい。透の側にいたい。自分の事しか考えない利己的な人間だと言われても。

 せめてほんの欠片だけでも、透の心の支えになれたならと思う。その時すべての罪が赦されるような気がするのも、自分勝手な願望だとわかっていた。

 異なる感情がせめぎ合いを始めると、万里亜にはもう、どうすることも出来なくなる。だが、宴会の部屋に戻って来ると、物思いは急激に、強制的な圧力をもって現実に引き戻された。

 聡子がいなかった。

「あ、トイレかもしれない。見て来る」

 万里亜は透の不安を感じ取り、先まわりをした。

 漆塗りの廊下をまわって、えんじ色ののれんを潜る。豪華な洗面台には菊の花が洋風にアレンジされていたが、目に入らなかった。

 焦りが胸を締め付けた。

 トイレには誰もいない。個室は二つともドアが開け放ってあり、一目で誰もいないとわかった。

 戻る途中で透と行き会った。襖の空いている他の部屋へ、紛れ込んでいないか覗いて回っていたのだ。訊かずとも、まだ見つかっていない事が、表情から読み取れた。

「いない。どうしよう」

「お店の人に訊いてみる。万里亜は聡子さんの靴があるかどうか見て来て」

「わかった」

 靴を脱いで下足箱に入れたことを、聡子は覚えているだろうか。もし靴があっても、外へ出ていないとは言い切れない。誰か他の人の靴を履いて行ったかもしれない。

 逸る気持ちを抑えながら、小走りに廊下を走った。

 靴は、なかった。

 万里亜はすぐに外へ飛び出し、車を見に行った。誰もいなくなったので、車のところへ行ったのかもしれない。バスの入る駐車場と、一般車の駐車場は別れていた。だから気付かなかったのかもしれない。

 車はシルバーのソアラだった。聡子は自分の家の車を識別出来るだろうか。

 医者でさえも、わざと忘れた振りをしているのではないかと、疑う者もいた。心の病は、ハッキリと数字に出る事がない。脳波にも異常はなかったし、全生活史健忘と言えるほどの症状もない。忘れているのは万里亜のこと、透のこと、そして恵里子が死んでいるということだけなのだ。

 もしかしたら万里亜を懲らしめる為に、わざとやっているのではないか。そんな思いが毎年何度か浮かぶが、すぐに否定する。人を疑うのは卑しいことだ。

 建物の外へ出ると、周りを気にしながら、万里亜は思いきり走って駐車場をくまなく捜した。車の陰にしゃがんでいるかもしれないと、一台一台覗いていった。もちろん透のソアラの周りは特に丹念に調べた。植え込みの中も覗いた。だが、聡子はどこにもいなかった。

 焦燥感に掻き立てられて、頭が正常に働かない。振り返ると深刻な顔をした透が、車のキーを右手にして走って来るところだった。

「店の中にはいない。誰も外へ出るところを見ていなかったようだ」

「駐車場にもいないわ」

「警察に連絡したが、来てくれと言われた」

「じゃあ私はこの辺りを捜しているから、透パパ行って来て」

「しかし」

「だって歩きで行ける範囲なんか限られているでしょう」

「わかった。五時までには、ここに迎えに来るから」

「ううん、もしかしたら電車で家に戻ってるかもしれないから、警察の後、まっすぐ家へ帰って。四時半になったら電話するから」

「そうか」

「電車で帰れるから」

「わかった」

 万里亜はソアラを見送る間も惜しんで、駐車場から走り出た。

 途中行き会う人には必ず声をかけた。喪服を着た女性を見かけなかったかと。しかしそう都合よく目撃者は現れない。

 走っているうちに、だんだん息が苦しくなり、ヒューヒュー音が聴こえ出した。もうとっくに治っていたはずの喘息だった。しかもこんな暖かい時期に。  喘息は精神的な病だという百合子の言葉が思い出される。

(何を怯えているの? 聡子さんは大丈夫、見つかるわ)

 少し立ち止まって、息を整えた。

 この尋常でない焦りは、一体何なのだろう。ほんの少し記憶に錯乱があるからと言って、それ以外の点で聡子は普通だった。一人で家に帰れないほど、おかしかった訳ではない。

 聡子が見つからないと、何故そんなに苦しいのか、万里亜の中で別の自分が問いかけて来た。

 このままいなくなっても、何も困らないじゃないの。

 透パパを独り占めよ。

 本当は最初からいなければいいと思ったんじゃないの?

 邪魔だったんでしょう?

 恵里子の事だって、いなくなれば自分が為り代われると思ったんじゃないの?

 聡子さんだって同じよ。

 今どんなに愛されていても、いなくなればそのうち忘れられていくわ。

 捜す必要があるの?

 捜しながら、見つかりませんようにと願っているんじゃないの?

「やめて!」

 思わず声に出して叫んだ。

 恐れていたのは聡子が消えたからではない。見つからないかもしれないからでもない。聡子が消えてしまうことで、自分の中の悪魔が喜び出すのが怖かったのだ。それは透を裏切る行為だからだ。

 普段意識して聡子を邪魔に思ったことは、一度もない。だがそれは、聡子が表面上万里亜を大事にしてくれたのと、同じことだった。

 聡子も万里亜も、お互いに思いやりを持って接していた。ずっとそうして来た。けれどそれは、どちらにとっても本心ではないはずだ。

(透パパが大事に思っているものは何でも、私だって大事にしたいのよ。そう思っているのに、どうして邪魔しようとするの)

 息苦しかった。泣きたくなって唇を噛み締めた。

(ママがいくら叩いても、悪魔は出て行かなかった。消えたように見えて、ちゃんと隙を伺っているんだわ。聡子さんが見つかって欲しいと、本当にそう思っているのに、そうじゃないと気付かせるのはやめてよ。私から出て行って。透パパが悲しむようなことを、一瞬でも考えたくないのに)

 しばらくすると呼吸は少し楽になって、万里亜を落ち着かせた。

 腕時計を見ると、四時四十分をまわっていた。透に電話すると約束したのだったと思い出し、公衆電話を捜した。

 駅の方に向かって歩いて行くと、電話ボックスがあった。

 テレフォンカードを差し込み、番号をプッシュする。期待感が高まり、また呼吸が苦しくなった。

 自分が期待しているのはどちらなのだろうと、混乱した頭で考えた。

 透の口から、「聡子さんは家に帰っていたよ」と喜びに溢れた告白を聴くことか。それとも、「どこにもいない」と、絶望にうちひしがれた透を見ることか。

 後者であるはずがないと、理性は思う。だがしかし、絶対にそう思っていないと、言い切れるだろうか。

 コール音一回で透が出た。

「もしもし」

「いた?」

 声でいなかったのだとわかったが、万里亜はだめ押しした。

「いや、そっちは?」

「どこにもいない」

「……そうか」

「もうちょっと、捜すよ」

「いや、闇雲に捜しても見つからないよ。帰って来なさい」

「でも……」

「病気の事も話して、捜索願いは出したから」

 苦悩が色濃く見えた。

 透の苦しむ姿など、見たくない。透が喜ぶことなら、どんなことでも受け入れたいと、心から思っている。嘘ではなかった。

(お願いだから帰って来て、聡子さん。透パパの為に……)

 受話器を置いて、神に祈った。

 心の隙をついて暴れ出そうとした悪魔は、喘息の発作と共に形をひそめた。

 万里亜は私鉄の小さな駅に辿り着き、駅員にも聡子の風貌を話した。しかし人の乗り降りは少ないはずなのに、何の手がかりにもならなかった。

「電車に乗るつもり?」

 透と同じくらいの年齢の駅員が、万里亜に尋ねた。

「沿線で人身事故があったらしくて、電車は止まっているそうだ。今からアナウンスするけど、バスを使った方がいいと思うよ。いつ復旧するか、何の連絡も入っていないし」

「人身事故!」

 不吉な予感が、治ったはずの喘息を再び呼び戻した。

「女性ですか? 男性ですか? いくつくらいの? 何時頃ですか?」

 息を吸う度にヒューヒューと笛のような音をさせながら、万里亜は矢継ぎ早に畳み掛けた。

「いや、まだここには何の情報も入っていないから。ただ電車が止まるということしか」

「どこで聴けばわかりますか?」

「バスかタクシーで、始発駅まで行けばわかるんじゃないかな」

「駅の電話番号……」

「いや、電話は回線がパンク状態で、さっきから繋がらないんだ」

「そうですか」

「捜していた女性かもしれないと思っているの?」

「そうでなければいいと」

「人身事故と言ったって、まだ被害者の生死もハッキリしていないからね。軽い怪我かもしれないし、思いつめないようにね」

「はい、ありがとうございます」

 気持ちはすでに方々へ飛んでいたが、優等生の仮面は健在だった。駅員に丁寧に礼を言い、落ち着いて見える様子でタクシーに乗った。

 タクシーの中では、姿勢を正し、無表情だった。何にでも祈りたい気持ちを現わしていたのは、固く組み合わされた指だけだった。

 それから万里亜は、静かに目を閉じた。

 過去とは不思議なものだ。かつて、どんなに思い出したくないと思ったことでも、やがては何も感じなくなっていく。痛みも、悲しみも、時間が経つほど薄れてゆき、最後には楽しかった思いだけが残るのだ。

 目を閉じて瞼に浮かぶのは、透のいた情景ばかりだ。それ以外の事は、夢か幻だった。

 夕方の道路はどこも大渋滞だった。

 このまま永遠に駅には着かないような気がする。そうすれば、聡子の事も確認しないですむ。自分の醜い心の裡も見せつけられずにすむ。頭を掠める恐ろしい願望のせいで、誰かを不幸にしているのだと、責められずにすむ。

(このままどこかへ逃げてしまいたい……)

 事故にあったのが聡子ではありませんようにと、聴こえないほど小さな声で何度も何度も繰り返しながら、心の奥の奥の奥で、もしも聡子が死んでいたらという想像を始めようとする自分がいた。

 耳を塞いで目を閉じて、気付かない振りをしようとしても、ふとした拍子に罪深さを突き付けられると、自分という存在を抹殺したくなる。

 手に負えない恐ろしい怪物を、心の中に飼っているようだった。二度と顔を出さないよう封印するには、自分自身ごと抹殺するしかないのかもしれない。

第十六話「恩」 このページのトップへ
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