恋愛小説〜ミレニアム

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恋愛小説〜ミレニアム

エピソード2

 どうしてもその格好のまま外に行くのはイヤだと言って、私は頑固に元の服に着替えた。容子はクラブの近くで着替えりゃいいさと最後は諦めて言った。

「何で、んな事気にすっかなあ。馬鹿みてえ」

 ちょっと不機嫌になってしまった。

 パレオは容子が親のクレジットカードで買ってくれると言うので、私は慌てて断り自分のカードを出したのだが、それも気に入らない事の一つだったらしい。容子は、「せっかくプレゼントしようと思ったのによ」と膨れっ面で言った。

 私は少し気まずい気持ちで容子の後を付いて行く。一体こんなところで何をしているんだろう。高校生に混じって裸同然の格好でクラブに行こうなんて正気じゃない。今からだってやめると言えばいい。だがなぜかそれが言えず、私は黙って容子に従っていた。五つも年下の容子に頼るような気持ちがあった。

「どこ行くの?」

 私は前をスタスタ歩いて行く容子に、早足で追い付いてそう聞いた。背の低い私は、容子の長い足に付いて行くので精一杯だ。よくもこんな、靴とは言えないような上げ底のサンダルで、こんなに早く歩けるものだと妙な所に感心する。

「ダチと合流すんだよ」

 容子が不機嫌にそう言った。私はまた不安になってきた。

「まだクラブに行かないの?」

 聞いた途端に容子は急に立ち止まり振り返った。

「先生、今何時だと思ってんの? 九時になんなけりゃクラブは始まんないんだよ」

「え? そうなの?」

 一回だけ連れて行ってもらったディスコは確か八時には入れたのに。やっぱりクラブとディスコは違うものなんだろうか。

 少しうら寂しい通りに、大きな白いバンが止まっていた。その横を通り過ぎようとした時、「先生、どこ行くんだよ。ここだよ、ここ」と私の腕を引っ張った。

「え? ここって?」

「んとにボケてんな」

 容子はやっと機嫌を直し、軽く笑った。その事にホッとしている自分に私は驚きを感じていた。

 バンの後ろのハッチが開き、中から、どう見ても普通には見えない男達が数名出て来た。その時の私の緊張を想像してみて欲しい。

 誰もいない暗い路地。裸同然の少女。そして普通じゃない男達。

 私は危うくパニックに陥るところだった。しかも容子は臆する事無く、男の一人といきなりキスをし始めたではないか。身体が硬直して動けなかったのは、たぶん一〜二秒だったのだろうが、長い時間に思えた。

「先生、紹介するよ。これ、あたしの彼。マモルってんだ」

「どうも」

 ドレッドヘアと言うのだろうか。黒人のような髪型をしてサングラスをかけたその男は、会釈しながら見かけによらぬ間抜けな挨拶をした。私もつられて会釈を返した。

「へえ、先生なんだ。容子の高校の? にしちゃ若いね」

 軽い感じの男が馴れ馴れしく肩に手をかける。いかにも若者、といった感じの爽やかな美少年だった。野球帽のようなものをツバを後ろ向きにしてかぶっている。オレンジ色の派手なTシャツの下には、カーキ色のアンダーシャツを重ねていて、ズボンはダボダボだった。

「家庭教師だよ」

 容子が私の肩に置かれた男の手を冷たく引き剥がした。私はホッと胸をなで下ろす。

「この先生バージンなんだからさ、刺激すんなよな」

 容子が言った余計な一言で、男達は馬鹿笑いを始めた。私はまたいたたまれなくなってきた。

 次の瞬間、容子の彼氏がランニングから出た筋肉質な腕で、突然私の肩を掴んだ。

「きゃっ」と思わず後ずさる。

「なんだよマモル。先生に手えだすんじゃねえよ」

 容子が凄んで私の前に立ちはだかった。今や容子は私を守るたった一人のナイトだった。マモルはゲラゲラ笑い出し、「いっちょ前に嫉妬してんじゃねえよ」と容子のおでこをつついた。

 もう一人の男は、長髪を後ろで一つに結んだのっぺりした顔をしており、中では一番年上ではないかと思えた。フード付きのパーカーにシーンズという出で立ちで、身長も一番高かった。

「先生、名前なんてーの?」

 長髪が聞いて来た。名前を教えるのは、ちょっと躊躇われる気がしたが、容子がさっさと教えてしまった。

「木ノ下彩音だよ」

「彩音ちゃん。かわいいじゃん、お嬢様みてえ」

 帽子の少年がまた近付いて来た。

「俺、昂ってんだ。かっこいいだろ。この名前付けてくれた事だけは親に感謝してんだぜ」

 すると昂を押し退けるようにして、今まで陰の薄かった背の低い男が近付いて来た。髪をベリーショートにしているせいか、余計小柄に見えるが、本人は気にしていないようだ。バスケの選手のようなランニングを着ていて、それが長過ぎて膝まで隠すのではないかという印象を受けるほどだ。

「変わってんだろ、こいつ。昂なんてよ、俺だったら恥ずかしくて人に言えねえよ。あ、俺はノリユキ。ノリって呼んでくれよ、アヤネ」

 早速私を呼び捨てにする馴れ馴れしさは、若者故なのだろうか。不快に思いながらも、私は律儀にお辞儀を繰り返していた。

「俺はサブロウだ。でもみんなアニキって呼ぶぜ。よろしくな、アヤネ」

 最年長と思われた男は落ち着き払った様子で遠くからそう言った。

「ってわけでよ、ここで着替えっからお前らちょっと外出ててくれよ。覗くんじゃねえぞ」

 自己紹介が終わると、容子が突然仕切り出した。

「アヤネもパレオ着んのか?」

 ノリが驚いたように言う。

「アヤネってさ、いくつなの?」

 昂が興味津々の顔を近付けてきた。

「そういうあなたはいくつなの?」

 私は多少余裕も出て来て、おそらく三つ以上は年下であろう昂に聞き返した。

「昂って呼んでくれよ。あなたなんて言われちゃ困るよ、アヤネのダンナになった訳じゃないんだからさ」

 私は赤面した。男達は大声で笑い、私をからかった。すぐに顔が赤くなるのが本当に恨めしかった。こんな少年たちに馬鹿にされるなんて悔しすぎる。

「俺は十八、ノリは二十一、マモルは二十二でアニキは二十五だぜ」

「嘘!?」

 私は思わず素頓狂な声をあげていた。アニキ以外は十代だと思っていたのだ。

「何が嘘なの?」

 昂が本当にわからないという顔で私を覗き込んだ。綺麗な顔をしている。色白で睫が長い。思わず見とれてしまう美少年だった。

「アヤネ、今俺に見とれてたでしょ」

 すかさず昂はニヤニヤしながら指摘した。私はまたもや赤面する羽目になった。

「もういいだろ、着替えないと始まっちまうよ」

 容子が男達を追っ払い、私に水着を着るよう促した。この期に及んで抵抗してももう無駄だ。私は素直に従った。

 車の窓には真っ黒なスモークが貼ってあり、外からは中が見えなかったが、中からは男達の様子が見えた。

「先生、だれ引っ掛けてもいいけどよ、マモルはあたしんだからね」

 容子が凄んだ。

「何言ってるの、彼氏がいるって言ったでしょ」

 しかしそう答えるまで、私も彼の事はすっかり忘れていたのだったが。

 雰囲気は一回だけ行ったディスコと同じだった。ただ、年齢層が若かった。いや、実際の年はわからないのだが、とにかく皆が皆パレオを着てヤマンバメイクをしているから、女子高生だろうなと思うだけだ。しかしそれを言うなら私だって今は女子校生に見えるのだろう。

 容子は私にヤマンバメイクは施さなかったが、なんだかやけにキラキラ光る粉を目の上に塗りたくり、つけ睫をして、しつこいくらいにマスカラを塗った。もう鏡を見てもその顔が自分であるとは思えないほどだった。

 考えてみれば今こうして平然としていられるのは、このメイクのお陰かもしれない。誰も私を見て私だと思わない。私はまるっきりの別人だ。裸のような格好で、蛍光色に光る棒をもたされて踊っている私を、気にかける者は誰もいない。

 ムッとするようなひといきれ。冷房が入っているにも関わらず、身体が火照って来る。

 飛び散る汗、汗、汗。

 耳にはもう何も入って来ない。喧騒の中の孤独。これが容子達の世界だ。確かに居心地がいいかもしれない。

 個性を主張しつつも、無に入るようなその感覚は、何かに似ていた。だがそれが何だったのか私は思い出せないでいた。

 次々と男が声をかけて来る。別人になった私は一々赤面したりせず、大胆にもこれをかわす。本当に自分じゃないみたいだ。喜びが込み上げた。

「先生、ちょっと休もう」

 容子に腕を引っ張られるまで、私は自分が先生と呼ばれる存在である事を忘れていたし、容子の存在すらも忘れていたくらいだった。

 容子は私に赤くて綺麗な色のカクテルを手渡した。

「酒飲むな、なんて言うなよ」

 笑うと幼さの残るふくよかな頬が、色とりどりの照明に照らされ波打った。

「そんな事、思い付かなかったわ」

 私も御機嫌で笑った。

「Hi!」

 カウンターに寄り掛かってカクテルを飲んでいると、後ろから肩を叩かれた。見上げると首が痛くなるほどの、大きな黒人だった。私は咄嗟に焦りを感じて容子に助けを求めようとした。しかし、もう既にそこに容子はいなかった。

 英語は苦手じゃない。黒人に対する差別もない。だが、どうしていいかはわからなかった。

「Sorry」

 誰かが黒人と私の間を遮り、私の腕を軽く掴んだ。私は引っ張られるままにその場を逃れ、再び踊りの波にまみれた。

「困ってるみたいだったから」

 暗がりで見る昂の白い顔は、最初に見た時より尚一層綺麗だった。

「ありがとう、助かった」

「クロは苦手?」

「そういうんじゃなくて……ああいう時何て言えばいいのかわからなくて」

「Hiって言えばいいんだよ、それだけ」

「その後は?」

「相手が何か言ったら答えるだけ、簡単さ」

 昂が私の腰に手を回したが気にならなかった。曲はスローテンポに変わり、照明は落とされた。チークタイムだった。

 私は信じられないほどすんなりと昂の首に手をまわし、昂の肩に頭を預けた。爽やかな柑橘系のコロンの香りがした。

 昂の肩ごしに見える他のカップル達はみなキスをしたり、身体を触りあったりしていた。どこかで容子もマモルとチークを踊っているに違いない。どこにいるんだろう、などと目を泳がせた。

「アヤネ」

 呼ばれてふと顔をあげると、昂はためらいもなく私に唇を重ねた。私もためらいなくそれに応えた。舌をからめたのはどちらが先だったのかわからない。彼氏の事など忘れていた。昂が三つも年下で今日会ったばかりだと言う事も思い出さなかった。ただただ、ひたすら心地よかった。

 キスは初めてじゃない。でもキスで頭の芯がとろけたのは初めてだった。私達は執拗に唇を吸いあった。

 昂は右手を私のパレオの分け目に滑り込ませた。パレオの下はもう素肌だった。素肌の腰をなめらかに動く昂の手を、少しもイヤだと思わないのは何故だったのだろう。

 ヒモのないゴムで出来たようなトップは、ちょっとずらせばすぐに胸が露になる。私の小さすぎる胸は、昂の大きな手には物足りないだろう。私より頭一つ分背の高い昂は、手も大きかった。

 昂の指が優しく動く度、私の全身を快感が駆け抜けた。もう今すぐにでもこの場で抱いて欲しいと思うほどだった。そしてやっと、身体が疼くと言っていた理沙の言葉を理解したのだった。

 言葉では説明出来ない甘美な感覚は、尚一層続いていた。これを一人の時に思い出したら辛いだろうと、妙に冷静に考えながら、私はこれがどこまで続くのか期待と不安の入り交じった思いだった。でも昂はそれ以上の事は何もしなかった。

 私はあちこちから聞こえて来る快楽の溜め息を、切ない思いで聞いていた。

 自分の身体がこんな風に反応するなんて知らなかった。なぜ私は抵抗もせずこんな破廉恥な事をしているのだろう。光のせいだろうか。音のせいだろうか。熱気のせいだろうか。何もかもが私に解放感を与えているこの場所のせいだろうか。

 今日初めて会った昂に、何をされてもいい、いやして欲しいと思うのは、この場の雰囲気のせいだ。私が私じゃなくなっているこのメイクのせいだ。

 頭に思い付く限りの言い訳を並べ立てているうちに、さっき飲んだカクテルがまわって来た。私は何も考えられなくて、ただただ楽しかった。

 緩やかな音楽に身体をあずけて、耳もとに昂の吐息を感じながら、歌い出したいような陽気な気持ちになっていた。チークタイムは終わりに近付いていて、一組、また一組と、カップルは闇に消えて行った。

「出る?」

 耳に心地よい昂の声。私は思わず頷きそうになって、ハッと我に返った。急いで昂を自分の身体から引き剥がす。生皮を剥がれたような痛みが、胸を襲った。私は懸命に容子の姿を探した。そしている間にチークタイムは終わり、ステージにはガヤガヤと人が戻って来た。

「容子だったらマモルと出たよ」

「え?」

 私は不安な面持ちで昂を振り返った。私はたった独り、こんなところに置き去りにされたのだろうか。容子がいなければ、右も左もわからない。何をどうしたらいいのかわからなかった。

「そんな泣きそうな顔しなくたってさ、すぐ戻ってくるって。あいつら早いんだから」

 何が早いのかよくわからない。

「どこへ行ったの?」

 私は迷子の子猫のように震えていた。先ほどまでの大胆な気持ちは、やはりカクテルのせいだったのだ。お酒が冷めて来た途端に不安が押し寄せる。

「どこって……さあ? トイレかどっかじゃない? それとも車か」

「トイレ?」

「こそこそ隠れてないで、ここでしちまえばいいのにさ」

「……」

 私はやっと事態を把握し始めた。

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